2005年11月30日

憲法改正私案、安全保障(1)国連中心主義でいいのか。

国連なんか全然ダメ⇒不本意ながらも国連しかない⇒国連は各国利益集合体、特にP5の国益交渉組織でしかない⇒でも、全世界的に認知されている国際機関は国連しかなく、

アメリカ追従という批判は世界にもある⇒目本は常任理事国にもなっていない、そんな国連に頼れるか。⇒……

上は、私の頭のループ。「国連中心主義」「国際協調」「目米同盟」私の憲法改正にとっての大きな悩みだ。

これは憲法の安全保障の項の条文に、「確立された国際機関」という文言を入れるか入れないかを悩んでいるものである。いや、入れたくないのである。
国連という文言を入れないとすれば、どうやって目本の国軍を憲法という枠にはめるか。これが課題だ。自民党の新憲法改正草案は枠がないと言っていいようなものなのだ。

1:国連お墨付きの集団安全保障活動、国連決議による多国籍軍、PKO・PKF
2:国連お墨付きでない有志連合活動
3:個別的自衛権
4:集団的自衛権

「いざ」となった時を考えなければならない。
国連が機能しなかった場合、どうするのか。
イラク派兵は「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を守る行為」ではなかった。
イラク戦争初期は国連決議のない有志連合だった。
ブッシュの戦争終結宣言後に、安保理が治安維持のための決議をした。
イラクの例は国連が機能しなかった。いや、逆に機能したのかもしれない。
国連もまたアメリカ抜きでは語れない。私はあれは国連が機能しなかった例だと見る。

イラク戦争初期から、目本はイラク戦争を支持した。
あのとき、目本は大量破壊兵器がイラクにあるというアメリカの情報に追従した。ある意味、目本はイラク戦争を支持しやすかった。
だが、あの時点でイラクに大量破壊兵器があるという情報が嘘だと目本がわかっていたらどうだったろう。そこで目本の真価が問われたはずだ。
いや、おそらくそれでもアメリカの行動を目本は支持しただろう。

国防や経済、政治には情報が不可欠だ。
縦割りではなく、内閣が一体となって情報を管理する体制を早急に作るとともに、情報収集能力も上げなければならない。

国連の決議の有無で目本が動く動かないを決めるとは、赤信号皆で渡れば怖くない、というのと同じだ。独立国家としてそれでいいのだろうか。
でも自民党の草案もそれでいいのか。
目本はアメリカとなら赤信号でも渡ります、というのも独立国家としておかしい。
「目本」が渡る赤信号は何なのか、これが自民案ではよくわからない。

難しいのが、その時その時の目本の国益と、将来の長い目で見た国益というのに違いがあるということだろうか。
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2005年11月29日

憲法私案作成にあたって

憲法改正に賛成の方も、反対の方も、なぜ今憲法改正が議論されているかというのはボンヤリとでもわかっているだろう。
そんな中で私は目本国憲法の改正を支持し、私の考えをまとめるためにも、その私案を作ってみようと思い至った。
私は、憲法を現実に合わせるのではなく、現実を憲法に合わせるという努力をすべきだと思っている。ただ現憲法はあまりにも現実と乖離しており、現状は解釈改憲という違憲を繰り返している。
もう一度、ここで憲法の理想と現実のバランスを見直し、現実を憲法に合わせる努力をしようではないか。

私の基本的な考え方や悩みは、追々記していくとして、私案の原則を3つほど。

1:小学六年生が読んでわかる憲法
2:条文上の言葉の意味は、いわゆる辞書的な意味であり、辞書を引けば明快な解釈が得られるものを用いる
3:解釈改憲ができないような憲法
posted by 総理大人 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 憲法改正私案作成日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

大阪市長選。そして民主党。

抗議の棄権か、無責任の棄権か、抗議の棄権も無責任なのか。
出直し大阪市長選は約七割の有権者の棄権で幕を閉じた。

「しがらみを断ち切り、強力な市民の信任を得て市政改革に邁進したい」
そう言っていた関氏は、有権者七割の棄権の上、前回より9万票も得票を落としバンザーイの再選となった。
労使蜜月関係を関氏は断ち切った選挙戦であったが、政党とも距離を置こうとした当初の関氏はどこへやら、船場太郎の出馬の動きで、大慌てに自民公明に推薦を要請。
マスコミの出口調査によると、自民支持層の6割、公明支持層の9割近くから得票している一方、無党派層からの支持は2割強であった。

一方民主はといえば、旧社民系は関氏を支持し、市労連を母体とするグループと対立。結果自主投票。
民主党を離党して出馬した辻氏の元へは、党所属国会議員が次々と応援に駆けつける一方で、民主市議の一部は関氏を応援。
有権者にわかりにくすぎる選挙を行った。
そんな辻氏には無党派層から3割強しか票を得られなかった。

関氏は、有権者10人に1人から支持を得られたという。たった10人に1人。関氏の残り任期は公選法の規定で一期目の残り任期と同じ。誰か関氏に出直せと言ったのだろうか。

今回の選挙に使われた税金7億円。市民の呆れ顔と怒りpriceless。

当選 278,914 関淳一 無前〈自〉〈公〉
   189,193 辻恵 無新
   165,874 姫野浄 無新〈共〉
   46,709  松下幸治 無新
    (〈 〉囲みは推薦政党)

やむを得ず、関氏に投票したという市民は多かった。
関氏に勝てる候補は、探せばいただろう。民主党にも諸事情あるのかな、だからと言って内部でゴタゴタやっていいというものではない。

・伊勢市長選
合併後初の選挙。加藤光徳(民主推薦)が奥野英輔(自民推薦)ら三人を破り当選。投票率73%。
合併後の初選挙ということも大きかったろうが、この投票率は民主VS自民の構図のためか、土地柄か。

・市川市長選
千葉光行(自民・民主・公明推薦)が…
もう書かなくても、結果がわかるだろう。
投票率は24%。あいのりVS共産の構図であった。
いつもながら共産党の報われない気概には感心する。

関連記事:あいのり〜議会という名のラブワゴン〜

民主党は資金難だ。特に国政選においては、地元(現職・前職・元職・新人)に金を落とすのではなく、中央から仕掛けるべきなのだ。
地元の集会にどれだけの有権者が集まるだろう。盆踊りに議員が行って、どれだけの人が国会議員と話ができるだろう。選挙のときに、候補者と握手した有権者はどれだけいるだろう。
地元での選挙戦を手伝ってくれるように支持者と日ごろから仲良くするための資金は必要だろう。
しかし、ほっとんどの有権者はテレビや新聞を通して投票先を決める。候補者と直接関わる有権者などごくごくごく一部。
平時の民主の情報発信量は政府・与党に比べるとあまりにも低い。テレビ・新聞、民主党の話題はない。選挙に負けたのだから仕方ない。野党だから仕方ない。
選挙になると、報道の量は一応平等に行われる。だから民主が選挙で議席を増やせてきた。先の総選挙みたいに戦時もマスコミが自民に占拠されてしまうと民主党は何も出来なくなる。

資金難の民主党は地元ではなく、ネットにお金をかけるべきなのだ。報道されないなら自らすればいい。効率の良い資金の配分。
私はテレビ局を開設すべきだと思う。コンテンツがおもしろくもなんともない政府インターネットテレビだってかなりのアクセスがあるという。GyaOはテレビCMやる以前からものすごく伸びていた。
新聞の影響力はテレビに劣る流れ。同じように活字より動画が受け入れられやすい。
インターネット利用者の人口普及率が60%を超えた。ブロードバンド回線利用世帯も5割に迫る勢いで、インターネットがより一般化している。投票に行く層もそれなりにネットをやってる。
投票に行かない若い層はネットをかなりやっている。民主党がこの層を取り込めれば、政権交代もありうる。
13〜39歳までの範囲では利用率が90%超、6〜12歳または50代で60%強、60〜64歳で39%、65歳以上で15%。
うれしいことに、ネットは全国ネットであって世界ネットでもある。

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追記:
あぁぁちょっと驚いた!!
私は大阪市民ではないので、今まで候補者の政策を新聞以外で見ようとは思わなかった。いずれ、公式ホームページでも見てやろうと思ってたのだが、この記事をきっかけにさっき探してみた。
公式ホームページ、関なし、姫野なし、松下なし。。
辻はありました。ホームページの政策カテゴリがこれ
関、姫野、松下!お前ら市民に本当にわかってもらおうという気があるのか!
私はさっき指摘したばかりだ。
「地元の集会にどれだけの有権者が集まるだろう。盆踊りに議員が行って、どれだけの人が国会議員と話ができるだろう。選挙のときに、候補者と握手した有権者はどれだけいるだろう。」
辻!それは政策ではない。スローガンだ。そこを間違えるな。

君たちは無所属候補だ。党がマニフェストを作ってくれる立場ではない。自分で改革の具体案を公表し、それを市民に問わねばならない。
その公表の場は、安価で便利なwebだと思っていた私は変か。まさにwebは「マス」なメディアだ。
具体的な公約もないのに、どうやって判断しろというわけだ。。

関西ローカルのテレビ出るのも、新聞に載せてもらうのも大事だけれど、今の世の中webpage持って情報発信するというは当たり前だ。ましてや大阪市って全国区じゃないか、政令市として全国のお手本になるようなことを考えてもらわなくちゃならない。
繰り返すが、公約の具体案を公表し、それを市民に問わねばならない。その具体案を探したいと思った人に開かれるのがインターネットなわけだ。
候補者は、その意味で市民軽視と言っても決して過言ではない。

ということで、一応市政改革マニフェストを「関市長の大阪市」が関氏の変わりに公表してくれているので、まあ順当な再選であったわけか。

あぁぁちょっとほんと驚いた。
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posted by 総理大人 at 17:26| Comment(4) | TrackBack(9) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月26日

男系維持で国民に支持される安定的な皇位継承は可能か。

皇統はずっと男系で維持されてきた。
男系維持派の皆様は、歴史と伝統を重んじるということであろうと思う。もし仮に皇統がずっと女系で維持されてきたのに、現代において男系天皇を認めるような論調が出るなら、それも批判するということだろう。その意味において、Y染色体云々というのはつまらない観点だと思う。(「もしも」の話もこれまたつまらないものであろうが。)
現代科学のY染色体云々はどうでもいいのである。Y染色体を持ち出すことは論理の質を低下させる。
先人たちは父方の血をたどると初代の天皇にたどりつくということは意識していたであろう。
どうして男系を維持したかということ、皇統がジグザグになることを先人たちは懸念したのだろう。

女系天皇容認派の中にもいろんな人がいる。
私は象徴天皇維持の観点に立ち、さらに象徴の天皇にもっとも必要なものは、カリスマ性や神秘性、国民からの天皇・皇室に対する求心力いうものだという視点に立ってこの皇位継承の問題を考えている。

皇位継承に男女平等の観点を持ち込むのは、不適当であると思うし、私自身は持ち込まない。ただし、この問題の本質は男系を維持するかそうでないかであるからして、男系を維持しないならば、兄弟姉妹間で男女に優劣をつける必要などないと考えている。この長子優先の考え方は皇室典範に関する有識者会議の報告書にあるので省略する。
女系天皇容認支持派は悪質フェミニストであり安易な男女同権論者であり左翼であるというような論調はどうして出るのだろう。

私は皇位継承に関してさまざまなブログを拝見したが、どうもおもしろくない。
それは有識者会議批判をしているだけのブログが多く、そしてまた歴史と伝統、歴史と伝統と唱えるだけのブログが多いからだ。それが悪いことだと思わないが、なんら建設的ではないのだ。
有識者会議で議論されてきたのは安定的な皇位継承を目指す方法なのである。もちろん会議には拙速の感はあり乱暴の感もあった。しかしなぜ今、この話題が持ち上げられているかというと、皇位継承の危機だからであるのだ。大方の男系維持派ブログは男系を維持した上での安定的に存続可能な皇位継承の方策についてなんら提案しない。
批判をするだけというのは非常に簡単だ。いくらでもできる。私個人は、ほとんどのブログ作者は、有識者会議を批判できたものではないと感じている。したがっておもしろくないのだ。

そんな中、私のweb検索能力の中で、その方策について真面目に考え提案する数少ないブログを見つけた。
時事評論@和の空間 皇位継承を考える(2)男系維持の方策(その1)(その2)もあります。
私が言うにはおこがましい話だが、非常に評価できるし、おもしろいと思った。これがあるべき姿であろうと思う。
今の世の中は、対案主義でないと相手にされない。
国民からのカリスマ・神秘性といった方面からの方策も考えられていた。
しかし、作者の結論はカリスマ・神秘性を考慮すると安定的な皇位継承は難しいだろうということであった。(断っておくが、作者は必ずしもそこを重要視せずともよいという立場に立っておられる。そこが私と違うところである。)

===
追記:和空さんのコメントより和空さんのスタンスを補足
記事その2のほうは、妥協案であること。
基本的には旧宮家の無条件の皇籍復帰(復帰しない一部の旧宮家の男系男子については永世にわたる皇位継承権の付与)を求めること。
側室制度容認派であること。
皇室のカリスマ性や神秘性は、「国民からの」という意味ではなく、本来の宗教的な力という点を考えていること。
===

私は、側室制度(非嫡出子)を大々的に唱えて、あるいは生命倫理に踏み込んで遺伝子レベルで男女の産み分けを唱え男系維持を提唱しないかぎり、安定的な皇位継承という命題はクリアーできないと考えており、そうでないかぎり男系維持に説得性はないと考えている。
現状の男系維持論は先延ばしに過ぎず、万策尽きるまで皇位を男系で継承しようというのに意味を感ずることはできない。

25日深夜の朝まで生テレビの後半のほんの少しの時間、皇位継承問題が議論(お話?)された。あのパネリストのメンバー構成では男系維持のお二人(八木氏勝谷氏)に不利であったろう。
しかし、私は高崎経済大学八木助教授が発言している時の、客席の人達の顔を見たのだ。あの顔は田嶋陽子さんが発言しているときの客席と同じ顔だった。(田嶋女史を批判するものではありません。。)

関連記事:現代の天皇にはどうしてカリスマがあるのか。〜皇位継承は直系長子優先がいい〜

cf.皇室典範に関する有識者会議報告書より、抜粋 『』は私による強調 【】内は私による想像議論
・男系による継承は、基本的には、歴代の天皇・皇族男子から必ず男子が誕生することを前提にして初めて成り立つものである。
過去において、長期間これが維持されてきた背景としては、まず、『非嫡系による皇位継承が広く認められていたことが挙げられる。』これが男系継承の上で大きな役割を果たしてきたことは、歴代天皇の半数近くが非嫡系であったことにも示されている。また、『若年での結婚が一般的で、皇室においても傾向としては出生数が多かったこと』も重要な条件の一つと考えられる。
・近年、我が国社会では急速に少子化が進んでおり、現行典範が制定された昭和20年代前半には4を超えていた合計特殊出生率(一人の女性が、一生の間に産む子供の数)が、平成16年には1.29まで低下している。皇室における出生動向については、必ずしも、社会の動向がそのまま当てはまるわけではない。しかし、社会の少子化の大きな要因の一つとされている晩婚化は、女性の高学歴化、就業率の上昇や結婚観の変化等を背景とするものであり、『一般社会から配偶者を迎えるとするならば、社会の出生動向は皇室とも無関係ではあり得ない。』
・旧皇族は、既に60年近く一般国民として過ごしており、また、今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であることを考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることができるか懸念される。『皇族として親しまれていることが過去のどの時代よりも重要な意味を持つ象徴天皇の制度の下では、このような方策につき国民の理解と支持を得ることは難しいと考えられる。』
【「世論の支持」や「親近感」とはアイドル的なものであり、目本の象徴である天皇は、目本の歴史伝統に則したものであるべきで、そのような認識の下に教育も行うべき。また、旧皇族の皇籍離脱はGHQによるものであり、元に戻すだけである。←「世論の支持」や「親近感」は天皇制維持にもっとも必要なものである。現在の教育も不十分な面もあろうが歴史伝統に則したものであって、「世論の支持」や「親近感」を打ち出すものではない。「世論の支持」や「親近感」が重視されるようになったのは、まさに世論の影響であり、情報化社会がためである。】
・皇籍への復帰・編入を行う場合、当事者の意思を尊重する必要があるため、この方策によって実際に皇位継承資格者の存在が確保されるのか、また、確保されるとしてそれが何人程度になるのか、といった問題は、最終的には個々の当事者の意思に依存することとなり、不安定さを内包するものである。このことは、見方を変えれば、制度の運用如何によっては、皇族となることを当事者に事実上強制したり、当事者以外の第三者が影響を及ぼしたりすることになりかねないことを意味するものである。
・いったん皇族の身分を離れた者が再度皇族となったり、もともと皇族でなかった者が皇族になったりすることは、これまでの歴史の中で極めて異例なことであり、さらにそのような者が皇位に即いたのは平安時代の二例しかない(この二例は、『短期間』の皇籍離脱であり、また、天皇の『近親者(皇子)』であった点などで、いわゆる旧皇族の事例とは異なる。)。これは、皇族と国民の身分を厳格に峻別することにより、皇族の身分等をめぐる各種の混乱が生じることを避けるという実質的な意味を持つ伝統であり、この点には現在でも十分な配慮が必要である。

posted by 総理大人 at 06:56| Comment(7) | TrackBack(7) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月23日

現代の天皇にはどうしてカリスマがあるのか。〜皇位継承は直系長子優先がいい〜

歴史と伝統、変えてはいけないのだろうか。いつ変えるのだろうか。地球がなくなるまで(?)。これらいつも思うのだ。

皇室は万世一系ではない。
天皇制は古くからの歴史と伝統そして現代世論で成り立っているんだろう。いや今の世の中、悲しいかな天皇制は世論によって成り立っている。1000年後の世論はどうかわからない。
おそらく戦後生まれは皆一度は考えただろう、天皇は必要なのか。今や天皇制が当たり前ではない世の中と言えるだろう。それほど、第二次大戦後の変化というのはすごかったのだろう。

旧宮家が復帰しても、4代5代…長持ちするだけではないか、いや何代かはわからぬが延命処置に過ぎないだろう。一夫一婦制の中、いずれ男系男子の皇位継承は難しくなるのは必至ではないだろうか。

私としては旧宮家の男系男子と言われても誰や?って感じなのだ。復帰してもらっても、親しみもカリスマも何も感じない。
失礼ながらポっと出のような旧宮家に思いを致すはできぬ相談のような気がする。
(最近竹田宮家の方がテレビ出ていらっしゃるが、あの人にカリスマを感じろなんて無理がある。(そもそも、あの人登場の仕方間違ったと思うのは私だけだろうか。あの姿を見て女系派が多くなるような気もする。))

国の借金は子孫に残してはいけない、皇位継承の宿題も子孫に残してはいけない。
むしろ皇室制度は時代に即して変えるべきではないだろうか。

現代の私たちはどうして天皇に神秘を感じるのだろうか。
Y染色体がずっと昔から同じだから、男系天皇だから神秘を感じるわけではないだろう。
天皇の存在を国民統合の尊重として教育され、そういう風に報道されているからだろう。
そして今誰に神秘を感じるかというと、主に報道されている今上天皇ファミリーであろう。成長の過程や日々の様子などそういうことを我々が見るからこその話だ。
女王方の顔が思い浮かぶ人など普通いない。
顔が見えない皇族はいないに等しいといってもいいくらいだろう。情報社会が故である。昔とは違う。

ましてや、60年という前代未聞の長期皇籍離脱を持った旧宮家に、江戸時代以前ならいざ知らず、この現代に復帰してもらっても、その方々に神秘やカリスマ、ありがたみを感じることはできない。

歴史を軽視するわけではないが、歴史はその時代時代の人々が築いていくものであって、直系長子天皇の権威もまた歴史が作っていくものだろう。
天皇制の歴史というのは「男系」ではなく「天皇がいつの時代にもいた」ということだと個人的には思う。

万策尽きるまで男系で継承しようということなのだろうが、それに意味を感ずることは私にはできない。
側室制度を大々的に唱えて、あるいは生命倫理に踏み込んで産み分けを唱え男系維持を提唱するならそれなりの説得性もあるってものだろうが。

なかなか、女系容認派と男系維持派は埋まらぬ溝だと思う。
しかし、今の流れでは国民の中で、あまり議論のないまま、歴史的事実を知らないまま、女帝と女系の違いもわからないまま、女系天皇を認める世論ができてしまうだろう。それは私としてもあまりに残念なことであるから、国民は一定程度の歴史と事実を知ってもらいたいと思っている。

私はいっそ皇室に議論を一任してはどうかと思っているのだ。無理な相談なのだろうが。。
大部分の国民は天皇の決断なら支持するだろう。いずれにしても天皇陛下及び皇室の意見を仰ぐことは、早急に行うべきだと思う。

皇位継承順位は直系の長子優先。ただ、お婿さんとして皇族になれるという一般人がどれだけいるのかは疑問で、それはそれで難関だろう。
しかし、やはり直系主義・近戚(?)主義でないと天皇制が崩壊してしまうと私は危惧するのである。
つまり私が言いたいことは、男系維持などではなく天皇制の存続・維持という大局的見地に立つならば、現代の日本の世のあり方を最重要視しなければならない、ということなのだ。

関連記事:男系維持で国民に支持される安定的な皇位継承は可能か。
posted by 総理大人 at 21:34| Comment(1) | TrackBack(4) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月15日

紀宮さまご結婚おめでとうございます

本日「目本国の行方」は「紀宮さん結婚おめでとう」とブログタイトルを変更し祝賀ムードでお送りしています。

私も日本人ということなのか、なんだかうれしいもんですね。
紀宮改め、黒田清子さんお幸せに。
posted by 総理大人 at 08:20| Comment(3) | TrackBack(0) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月05日

参議院改革と二院制のあり方、そして地方分権の概要の概要

「都道府県知事候補が国政へ送り込む参議院議員の候補を国民に提示した上で知事選を戦う。」

T:なぜこのように考えるようになったか。

(0)衆議院との区別化を国民に理解しやすく、また実際に創設理念を機能するようにもっていくには、選出方法を変える以外にない。

(1)直接選挙を続け、衆議院との区別化を図るならば、その選出方法は全国規模の選挙戦となり費用が増大する。また国民への広報も大変であり、中選挙区制を維持する中で、同じ所属政党の中から、個人を指名するというのは非常に困難で、個人の性格・信条・素行など大多数の有権者が知ることなど不可能であるだろう。
また、ほとんどの参議院議員は実際HPもまったく充実していない。

(2)実際の選挙結果も衆議院小選挙区で政党を選ぶスタイルが国民の中に定着してきた中、参議院の政党比率は衆議院とほぼ同様になるであろうことは容易に想像でき、今回の衆院選までは実際そうであった。政党比率が参院と衆院で似ていることも参議院は無駄といわれる理由の一つであり、法案の可否決にも差が出ない理由もそこにある。(郵政民営化法案は異例であった)。
  
☆参院憲法調査会は直接選挙を堅持するといいながら、問題点をクリアーするための提案は何一つ出来ていない。これは一つは直接選挙では衆議院との区別化を図れないことが理由の一つではないか。

U:では、参院議員の選出方法をどうするのか。
⇒都道府県知事候補が国政へ送り込む参議院議員の候補を国民に提示した上で知事選を戦う。(知事当選後に候補を決めるのでは不透明になる。)

「私が○県知事に就任した暁には、県政を推し進める為に、この人達を参議院議員にします。」という感じ。また、参議院候補を一定数以上その道のプロ(学者(大学教授・○○研究所研究員など ))にする方策は今後研究したい。

(0)理念
地方自治を推し進め、国の権限・お金を地方に委譲するという議論が趨勢の中(実際に国民サービスは出来るだけ住民に近い行政が行うことが効率がいいのは間違いない事である)、地方の自治を牽引する都道府県知事の声を国政へ反映させるのは当然であり、それを推し進めるために知事選と参議院選を兼ねたものにする。
 
(1)メリット

a:地方自治を進める上で、地方の声が文字通り国政へ反映される。

b:地方選の投票率アップ
知事選が国政へ送る候補者を選ぶ選挙だとすれば、各党は自前の知事候補者を出すことだろう。国政にも関わる選挙なのだから、必然的に有権者の関心も高くなるだろう。
本来の参議院の理念というものは現在の参院が政党化する中では生かされていない。法案の可否決を見ればそれはあきらかであり、参院の独自性などないに等しい。
   
c:都道府県議会の活性化
都道府県議会のほとんどはいわゆる「オール与党状態」である。これは地方の財政を悪化させた原因の一つでもあろう。議会によるチェック機能が実質働いていないのではない。知事が相乗りでなくなることにより、県議会が活発化することを期待できる。
   
d:参議院の新たな政党化
議会は政党政治であるべきだ。ある程度のまとまりをもって政治に望まなければ政策実行スピードは遅くなるばかりであろう。
また政党政治は国民にわかりやすい。議員個人個人の政策を吟味するのは自ずと限界があるだろうし、議員個人個人の政策を吟味する材料も現状では提供されていない。
拙案によって形成される参院の政党化は衆院とは色の違うものとなるはずだ。これを私は健全な政党化と呼びたいと思う。衆院とは違う政党化と呼んでもいいだろう。
  
e:地方選でも国政を考え、知事(候補)がその地域だけでなく「目本」を意識することで国民の自然な関心・自然な愛国心の芽生えも期待できないだろうか。
必然的に知事(候補)がもっと国全体のことを考えるようになり、国民もそれは同様に考える機会が増えるだろうと考える。
  
(2)デメリット・予想される反論への再反論

a:国民の声が国政へ直接届くのが衆議院だけになる。
それはむしろ好ましいのではないか。新たな参議院を創造する理念を答えにしたいと思う。
地方の声(具体的には知事の声)を国政へ反映させ地方と一体となって日本を考えよう。衆議院は民意の院(??、何だったか忘れてしまった…)だとか言われている。参議院との区別化が図れ、衆議院の存在価値も上がるのではないか。
また、国民の声が直接届く場を重視し、衆議院の優越を明確にする。
具体的には
・内閣は,行政権の行使について,「衆議院」に対し連帯して責任を負ふようにする。
・参議院からは閣僚を出せない。
・首相指名選挙は参院で行わない。(別に形式上やってもいいだろうが、現在の憲法でも総理指名の衆院優越は担保されている。)
・参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を「可決」したものとみなすことができる。
・衆院再議決の用件は、過半数とする。参議院は法案を否決するための院ではなく、法案を修正するための院である、ということを明確に位置づけることにもつながる。

b:一票の格差
これは、悩ましいところだが、制度自体が一票の格差を問題にしないものであるから、答えようがない。
制度の設計理念が回答ということになるだろう。

c:一院制でいいじゃないか。
確かに。これも創設理念を答えにしよう。地方分権というのを後押しするためというのが理由にならないだろうか。
でも、もっと明確かつ説得性のある理由を探したい。
 

(その他)
外交は長期視点に立った活動が大切であり、衆院の優越の一つである条約承認権を参院に渡すという意見があるが、これは賛成しかねる。
二大政党の中で、政権が変わるたびに外交姿勢が大きく変わるというのは良くない事であり、二大政党がある程度外交姿勢に共通の認識を持ちことは必要であろう。しかし、現実には外交というのは時の政権により大きく変わるものであって、拙案でも衆院の優越を堅持する。
主に予算は衆院、決算は参院と区別化がはかれるような意見がある。参院の決算権限を実効性のあるものにするための具体的な方策は国会から伝え聞かない、私自身も具体論は持っていない。しかし、参院の決算権限を強めること、予算は衆院、決算は参院と区別化は概ね支持する。

(3)今後の検討課題
・衆院は予算、参院は決算を。これを実効性のある具体論にしていくこと。また、その相互補完性の確保も必要であろうから、その具体論。
・各都道府県のほかに、政令市も参議院議員を出せるようにするのか。
・各都道府県の参議院議員定数。今考えているのは、各県平等に三人または四人。
・道州制の是非。基本的にはいらないと考えているが、いずれにしても北海道をモデルにし、10年後をめどに結論できればいい。

V:その他の関係事項を荒く

(1)地方分権へのスローガン
今までは
「官から民へ」「地方にできることは地方に」
であったが、これからは
「民でできないことは官に」
「基礎自治体にできることは、基礎自治体に。基礎自治体にできないことは、広域自治体に。広域自治体にできないことは、国に。」
そういう意識でやっていかなければならないし、そのインフラをある程度確保した上での、本参院改革である。

(2)都道府県議会選挙を廃止し、基礎自治体(市町村)の首長選挙時に有権者に都道府県議会議員候補を提示する。
各市町村から、都道府県議会議員の基礎議席1を確保し、残りは人口分布によって各市町村に議席を設ける。

これも国と同様の観点に立っている。選挙費用もちゃっかり浮いたりする。

(3)地方の首長の四選禁止
12年やって、できない人には何もできない。
議会や、役人との仲も良くなりすぎる。
若者の政治参加の意欲を掻き立てる。

以上。


これはおそらく、いや間違いなく突っ込みどころが満載で穴だらけの私案であるから、コメント等での質問に答えるような形で考えをまとめていきたいと思う。
どんどん突っ込んで、どんどんいじめていただきたい。でも、ほどほどに。お願いいたします。

私は先の小泉さんの衆院解散を参議院の価値を問うものだと理解した。
どの議員もテレビ等で「参議院のあり方」に全然触れない。私は物心がついて初めて、今回の郵政法案否決で「参議院の存在」を感じた。
綿貫議員なども議会制民主主義の根幹云々はおっしゃっていたが、そうであるならば代案(法的な衆院解散権の制限・国民投票制度・参議院の改革・両院のあり方)をこそ提案すべきだろうと思った。綿貫議員などは今回の件に関しては「文句たれの親父」にしか見えなかった。

参院憲法調査会報告「国会」「参議院・両院のあり方」の項を読んだが、愕然とした。衆院のカーボンコピーなど言われて久しい参議院の改革のための一番の障害は、参議院議員自身に自己改革意欲がない事なのだと。少なくとも「一有権者である私」はそのように受け止った。
各改善案の表層だけをなぞり、改正へと決定できた具体論がなく、なんのための数年間の議論だっただろう。ほんと「なんじゃこりゃー状態」だった。

現在参議院の意義が生かされるような状況ではない事と、衆議院との関係など私が述べるまでもないさまざまな問題を参議院は抱えている。
その問題を見て個人的に私が思うことは「今の参議院は百害あって五利もなし」。今のままの状況ならば一院制で十分だというぐらいに思う。
税金が投入されているわけで、今の参院に費用対効果はないと言いたい。

しかも総選挙で与党は2/3以上の議席を確保した。法案審議等を二つの院で行うことにより国民への説明がはかれるというメリットだけは残った。
その他のことについては、参議院の存在感ではなく公明党の存在感として片付けることができるだろうと思う。
こんな状況になりながらも、メディア(テレビ)は参議院の改革・両院のあり方という議題を国民に与えない。
今回の衆院選は小泉劇場などと批判されたが、自民党に非があるのではなく(非はある、衆院選は国民投票ではないのだよと)、メディアに非があった。それと民主党のおろかさがプラスされ自民大勝利だった。
posted by 総理大人 at 16:11| Comment(32) | TrackBack(4) | 参議院と二院制のあり方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月01日

憲法改正国民投票法私案の概要の概要

不満や批評等も頂戴ください。
ご指摘いただいた内容を元に、この概要を改良していきたい。

T:投票権者の範囲

(1)目本国籍を有する者
これは当たり前だ。補足は控える。

(2)投票年齢は満19歳以上
前提として、出来るだけ多くの国民が投票に参加できるようなものにしようという意思がある。

高校就学が、ほぼ義務教育化(高校進学率は97%、うち全日制は95%)されているような現代においては、高校卒業者の年齢というのが投票要件であると規定するのが妥当であろう。
高校を卒業すると、大学生になる人や専門学生・短大生になる人、あるいは就職する人がほとんどであろう。
高校生では社会的に保護されてきた段階から、高校卒業の年齢というのは、目本人が自立の道へ歩いてゆく年齢でもある。
そして、目本という国を、目本の将来を考えて言って欲しい、考えてゆかなければならない年齢でもあるだろう。

満18歳以上を採用しない理由は何か。
それは私には見過ごすことの出来ない問題があると考えたからだ。
その前提として前述した高校進学率が97%(全日制は95%)という高い数字を意識する必要がある。以下その数字を意識して読んでもらいたい。

a高校三年生に対する教師の影響
高校三年生までは、教職員のコントロールが可能だ。コントロールというと聞こえが悪いかもしれないが。
授業で先生が憲法観を語るということは現実にないとは言い切れない。むしろ教師の言動が生徒に与える影響は大きいと考えるのが妥当である。
その点19歳では多くの生徒が高校を卒業し、社会人や短大生・大学生・その他の学生となっている。
大学にも教員はおり、また発言力も大きいだろうが、学生の側において大学では高校とは比べものにならないほど、自己の責任を問われる。個々の事例を挙げたら、反することもあろうが、総じて、実際高校三年生と話すのと、大学一年生あるいは社会人また予備校生などと話すのはまったく違う。後者にはやっぱり「大人」を感じることが圧倒的に多く、また周りの目、社会の目も高校三年生と19歳とでは全然違う。
高校の教員が憲法について直接は触れなくとも、とりわけ歴史観、それにつながる外交安保については、教わる先生により、だいぶ考え方が変わる。
そういう経験がある方も多いのではないか。

b高校三年は大学受験期であり、就職活動期である。
特に国民投票が冬となった場合には受験生の頭は憲法どころではなくなるのではないか。
一概には言えないだろうが、勉強熱心で政治にも関心を持っているであろう人ほど、大学受験勉強にも熱心で一生懸命に勉強しているだろう。
高校生には遊びまわってばかりいる人もいるだろう。これも一概には言えないが、そういう者は総じて政治に無関心で、憲法について興味を持ち投票に行くかというと、そうではないのではないか。
政治に関して興味を持つであろう人ほど、憲法を考える機会がないということは想像できる。
あなたに問いたい、
あなたは受験期に勉強を一生懸命しましたか。
一生懸命に勉強しているときに、テレビや新聞を時間をかけて見たり読んだりしましたか。またその覚悟はありますか。
憲法と、自分の将来どちらが大切に思ったでしょうか。

以上二点が18歳案に賛成しかねる理由であるが、やはり高校生と高校卒業者では社会の目が違うということこそ19歳案の根幹である。
本当に18歳以上にこだわる明確な理由はあるか、20歳以上にこだわる明確な理由はあるか(成人であるということは置いておいて)。
だとすれば、高校卒業して社会人になる者も大勢おり、中等教育を終えた段階というのが区切るとしては19歳、これが適切ではないか。こう考える。

(3)軽微な選挙違反の公民権停止者には投票権を認める
これは、出来るだけ多くの国民に投票に参加させるという前提に基づくものである。

残る問題点としては以下、二点だろうか。

a公職選挙法上の選挙名簿と国民投票の名簿が違うものになり、実務的に混乱を及ぼす。
この憲法国民投票の議論では、実務面や財政面は少しばかりタブー視されていると思うことがあるが、憲法という最高法規をいわば特別扱いすることは国民感情としても理解され。財政面もあまりそれ程考慮せずに行ってよい、という国民からのGOサインもあるだろうと思っている。今後の国民議論を見守る必要があろう。

bこの私案では公職選挙法上の軽微な選挙違反の場合に投票解禁とするが、公民権停止者には、公民権を停止されるそれなりの理由がある。
憲法というのはそもそも国家権力を縛るものであるが、それはさておき、
「憲法第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」
すべての法律や政令、条例は憲法の枠の中にあり、また憲法の条文の理念を具体化するためにある。その法を犯したものが、公民権停止者であり、それはすなわち憲法を犯した者たちであろう。そういう者に憲法改正の国民投票に参加させることに国民は本当に異論はないか。
公民権停止者は憲法改正国民投票に参加できない、というのが直接犯罪率の減少に影響はないかもしれない。しかし公民権停止者が憲法改正に参加できないというのは、まさに法を犯してはならないということの象徴であるという考えもあるのではないか。
これについても国民の議論を待つしかないところはあると思う。


U:投票方式と憲法96条における過半数の定義

(1)投票方式は憲法改正に可するものは○、否とする者は×と記入し、白紙票は無効票とする
(2)憲法第96条における「過半数の賛成」とは「有効投票数の過半数の賛成」

憲法とは国の根幹をなすものである。国会で憲法改正案が発議されれば、有権者各々は、その改正案について是か非かを明確に決断すべきである。
有権者の意思を明確に示すべき憲法改正国民投票において、その改正案に対し白紙投票というのは、国民の無責任と言える。
したがって、改正案に賛成は○、反対は×と明確な投票方式を採用する。

一部では、賛成の場合は○、反対は無記入、無効票は反対へ加算、という案もある。私は反対である。また、最高裁判所判事の国民審査のような形骸化を想起させる。
一つ一つ○または×をつける、賛成か反対かを記入する行為という物を大事にしたい。
国民各々には「明確に」判断して欲しいと願い、投票方法もそれを具現化する形で行われるのが望ましい。

また、無効票は、国民の無責任と言えるものであり(投票方法くらい学べないのか)、無効票を過半数の分母にいれるというのはその意味で不適切である。また分母が総有権者つまり、投票しない有権者をも分母に含めるというのも同じ理由で否である。
選挙の場合は、投票するに値する人がいないから、白紙投票または棄権という選択肢もあるかもしれない。憲法では、そんなものは通用しない。

とにかく投票方式と過半数の定義は、国民の主体性と責任感の向上を促すようなものでなければならない。


V:投票単位と国会の採決
逐条個別投票を基本とし、関連性が不可分の条項についてはユニット方式を用いる。一括投票はとらない。しかし、第一回投票については正当性の観点から、一括方式が望ましい(かもしれない)。
いずれにしても、国会で発議される改正案の性格によって、国会が発議の際に投票単位を決定するしかないのではないか。
また、国会での採決も、投票単位によって行う。

以下、投票単位に関連する主な論点を記述する。

(1)憲法の正当性の確保
現行憲法においては、国民が直接その正否を判断した機会がなく、本当に国民の信任を得たのかは疑問である。

解決策はないものだろうか。私には思いつかない。
・あなたは現憲法を信任していましたか。
という設問(文言はなんでもいいのだが)を、憲法改正国民投票の際に同時に行う。(もし、信任していなかったというのもが、過半数になったら…)
・第一回国民投票は憲法全文一括で国民に是非を問う。
(その場合も、国民に否決されれば承認されていないということになる。)

(2)(1)に関連もある一括投票
改正案が全面改正である場合には、個別条文ごとに是非を問うと、憲法内条文の統一性が担保されず、ちぐはぐな憲法となってしまうことも考えられる。(これは書き方次第で統一性を確保できるのではないかと安易に考えている。)

ABC3つの条項を変更する改正案が発議されたとすると、ABには反対だが、Cには賛成という者の意思を反映することができない。(9条改正には反対だが、環境権を入れることには賛成など)
諸外国の例では、一括投票の場合の投票行動として、ABには賛成だがCに反対だという意見を持つ者は、改正自体に反対票を投じることが多くなるということがある。

(3)逐条投票と関連性が不可分なユニットによる投票
ABには反対だが、Cには賛成という者の意思を正確に反映することができる。
課題としては正当性の確保がある。

まったくの私見だが、自民党新憲法草案や民主党憲法調査会の様子を見ていると、最初の改正時には、おそらく国会で発議される改正案は、9条も含めた大規模改正案が発議されることだろう。
大規模改正を前提とした場合、混雑状態の投票所で逐条○×つけることはほぼ不可能に近いものであろうし、投票率の低下を招きかねないとも考えられなくはない。
投票用紙については、予め住居に郵送されるようにし、投票所では原則投票用紙を投入するだけにするのがよいのではないか。その場合本人確認の方法が問われる。
投票用紙を忘れた人、ホームレスのためにも、投票所にも投票用紙を置く、というのがよいのではないか。


W:憲法改正案の政府発行広報
公費を使って行う広報については、賛成派、反対派双方の意見を用いたものとする。
賛成反対の意見決定は国民によって選ばれた、国会議員が行う。

政府が発行する広報において一定の字数(例4000字)を賛成反対平等に執筆させる。
国民に発表する賛成意見は、改正賛成派国会議員の投票によって過半数の支持を得たものを、広報に使用する。
反対意見も同様に、改正反対派国会議員の投票によって過半数の支持を得たものを、広報に使用する。

世帯単位ではなく、有権者一人一人に広報及び投票用紙が届くようにする。


X:国民投票運動及びメディア規制

(1)国民運動の基本姿勢
公職選挙法上では、ほとんどの逮捕事例が選挙後である。これは投票の公平性を担保するための当局の配慮である。
選挙の場合は事後逮捕でも、場合によっては議員辞職等の罰則措置が設けられていて、投票後の逮捕でも法規違反の事前抑止効果はある。
しかし、憲法改正国民投票においては事後の逮捕では実効性が伴わない。誰か一人の運動違反によって憲法改正案が白紙になるなどありえないからである。
このような実務上の観点を考えても、運動に規制をかけるというのは難しい。
もとより、国民への言論統制は避けなければない。

規制の対象は、投票箱をぶっこわしたり、投票所の玄関で延々座っていたりなどを取り締まる最低限の規制とする。

(2)外国人の投票運動は認める
現実には規制が難しい。アメリカの政府高官が憲法に賛成だと言うことを規制すべきだろうか、できるだろうか。中国が改正に反対する声を国内のメディアが報じないというのもおかしい。
ますますグローバル化が進む中、「世界の中の目本」を意識する必要がある。外国の反応というのは、進んで耳を傾けるべきものである。
また、目本には多くの在目コリアンがいるのであり、憲法改正国民投票に参加できない彼らの投票運動の参加を規制するのは、適切ではない。

(3)教育者の投票運動は禁止しない
・学校の児童、生徒に対して、教育者がその地位を利用し児童、又は生徒に働きかけるのはその影響力からいって不適切であるが、私案では児童及び生徒は基本的に(全日制の高校進学率が95%)国民投票に参加しない。したがって特に規制する必要はない。
・学生に対して、教育者がその地位を利用して、運動することは禁止しない。
その理由としては、Tの(2)のbの記述を挙げる。

(4)虚偽報道および虚偽の論評があった場合も規制の対象にはしない。
これは「明らかに誰が見ても客観的に虚偽」であるものと、そうではないものがあるだろうと思われる。

・「根拠となるデータの数字がウソなど明らかに誰が見ても客観的に虚偽」
そんなものは議論の中で淘汰されてゆくため、特に規定を設ける必要はない。規定を設けるメリットよりも、規定を設けたデメリットの方が大きいだろう。

・「9条改正は外国での武力行使参加への道を開く等、客観的に虚偽かどうか検証できないような事例」
そのような場合はすなわち虚偽ではないとの認定になろうが、いずれにしても規制は設けず、反論の機会というものを与えていかなくてはならない。双方の意見を聞いて国民が真実を判断するという仕組みがよいものと思われる。インターネットも普及した中、反論を掲載する場所というものは確保されていると考える事ができる。

(5)予想投票の公表は禁止する
予想投票が公表された際、改正賛成派は80%、反対派は20%となった場合のことを想像しよう。
どう考えても、投票率が下がる。投票の正当性も危ぶまれる。そして国民が憲法について思考することをやめてしまう事態も起きるだろう。
予想投票の禁止が議論の妨げになるというのも私には理解できない。むしろ投票行動が、わからないという方が議論が盛り上がり、そして投票に行こうという気にもなるだろう。
予想投票の公表には明確に反対する。

(6)新聞・雑誌等の紙媒体及びネット上に論評を掲載することは禁止しない
現に新聞は、憲法改正賛成か反対かの論評を掲載している。読売新聞は改正試案まで発表している。
これを投票運動期間中、論評の掲載を禁止するというのは不自然この上ない。
スイスの国民投票法では、新聞媒体はむしろ立場を明確にするように求められている。

(7)有償で新聞・雑誌への意見広告は賛成反対両陣営に対して同額の上限額を設ける
これは資金潤沢な陣営だけが、広告を出せるような状態は避けなければならないと思われる。
たとえば、原子力発電所の設置の有無を問う住民投票の場合には、資金が潤沢な電力会社は意見広告できるが、反対派の住民は資金難のため意見広告できないといったこともあった。
これを回避するために、意見広告には賛成派反対派同額の上限額を設け、意見広告を掲載したい団体・個人は第三者の資金管理団体(中央選挙委員会などに設置)に登録し、資金管理団体が上限額を超えないように、どこが何を意見するかなどを調整をする。こういう仕組みが必要ではないだろうか。
資金管理団体に登録しない、個人または団体の優勝での意見広告の掲載は禁止する。

課題としては、上限額の設定と罰則規定だろうか。あと、投票単位の問題も絡んでくる。

(8)公務員の投票運動は規制しない
公務員は数も多く、また日本国民の一人である。公務員の地位利用が「具体的に」明確に規定される場合は規制もありうるかもしれない。

(9)放送媒体(テレビ・ラジオ)は、改正の是非に意見する放送をできない。
賛成派・反対派双方が同席する討論はこの限りではない。

テレビの影響力は絶大だ。先の総選挙の自民党圧勝は間違いなくテレビの影響だろう。それはテレビ局の体たらくであり、民主党の体たらくでもあったわけだが。
このラジオも含めた放送は特に注意が必要である。これはスイスの国民投票でも、同様の措置をとっているということだ。
間接的に討論番組が増えることも期待したい。なお、罰則規定は設けない。

(10)新聞雑誌への意見広告・意見CMの発信元は開示する。
誰が、どの団体が、改正に反対か賛成かというのは、国民が知る必要がある。
例えば、住民が原子力発電所に賛成の意見広告を出すのと、電力会社が賛成の意見を出すのとでは性質が違う。
発信元(資金を出す者)の発表に虚偽があった場合は、以後の意見広告・意見CMを禁止する。

(11)国民投票の3日前から改正案に対する、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌の一切の論評を禁止する。
例えば投票の前日に、賛否に関わる重大な虚偽報道がなされたとしよう。反論する機会のないまま投票日を迎える。これは好ましくない。
国民は投票日三日前から、精神統一(?)して投票に望むべきである。


Y:国会発議から投票までの期間
「60日以上以後180日以内」
この期間内において、国会が発議の際に決定する。

おそらく第一回は大幅改正であろうから、半年は周知そして議論する期間としたい。
あまりにも長すぎると、憲法議論の熱が冷めてしまい投票率の低下も考えられるので、半年が限界ではないだろうか。
第二回以降の小幅改正(おそらく)の時に、半年というのも長すぎる気がするので、下限は2ヶ月とした。

Z:無効訴訟及び再投票
これについては難しすぎて私個人判断つかない。また国民の関心も高くない話題だと思うので現時点では割愛したい。
今後勉強を重ね、意見がまとまれば掲載したい。

以上。

なお、成人年齢(民法)、選挙での有権者年齢、少年法改正、国民年金等の関連する法整備も同時に行うことは、切実に望まれる。

憲法改正国民投票法及び憲法改正論議をすること、また国会が憲法改正案を発議すること、並びに国民が憲法改正国民投票をすることは、憲法を改正することと一致しない。
重要なことは国民投票で、国民の、国民による、国民のための憲法を選ぶことである。
国民投票というのは、国民主体であることを忘れてはならない。
共産党の主張や社民党の主張は、その意味において誤りであり、国民軽視の姿勢であると私は考える。

どこに採用されるわけでもない、この概要を書いたのは、自己満足であり、皆様に考えて欲しいという思いからである。思いっきり抽象論の部分もあろうが、それについてはこれから追記していこうと思う。
欠けている論点などあれば、コメントやTBを頂戴したい。この概要はド素人の書き物である。稚拙であるところのある程度はご容赦を。

長い文章読むのお疲れ様でした。

参考:
衆議院憲法調査特別委員会/衆議院インターネット審議中継
参議院憲法調査会/参議院インターネット審議中継
憲法改正国民投票法案に関する意見書/日本弁護士連合会 
憲法改正国民投票法案についての意見/第二東京弁護士会
真っ当な国民投票のルールを作る会









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