候補者選定については、むしろ民主党には分はない。しかし自民党を追及するのは当然で、さらにはその中で民主党自らの問題も改善「具体」策をキチっと示さないと、「覚せい剤議員のお前とこに言われたない」と、そりゃあなるだろう。
ホリエモン事件では、株式無条件分割商法改正の際、民主党は賛成したのか反対したのか知らないけれども、自民ではすでに再規制みたいなことを言っている。それがいいことかわからないけれど、ホリエモン批判だけで、ルールの方の話は民主党から聞こえてこない。聞こえてこないだけであるのかもしれない。
経済活動では、モラルとか実態の無いもの、つまり十人十色の感性に頼ろうとするのは危険で、萎縮効果も招きいいことなんてない。モラルはルールではない。グレーとは脱法的とは、つまりシロなんだから、グレーをクロにしようとするなら、それはモラルとか法の趣旨に頼るなんてのではなく、ルール(法・政令等々明文化された規定)を改正することを提起しないと、こと経済活動においてモラルに頼るのは大反対だ。むしろ、「法に触れなければ」「何をやってもいい」ということが大事だと個人的には思う。国際的に経済が動く中で、「日本的モラル」に頼るのは国際競争力を阻害する。また外国資本にいいように食われる証券市場になるだろう。
私は堀江貴文がグレーや脱法的なことをしたというのは評価できると思う。一線越えて、クロに行ったことがダメなわけで何もかも批判するというようなマスコミはいつもながら大嫌いだ。ほんと大嫌いだ。たまらなく嫌いなんだ。手の平を返しすぎなんだ。キライだ。もういい??
また、前原さんの言うことにはすべて「お金」が必要で、財源・さらには財政再建という至上命題に対して、民主党がどんな対応をするのかというのはまったくわからなかった。
あと、代表質問自体いらないというか、あんな中身の無いしょうもない質問形式ではなく、「前原の施政方針演説」を聞きたいと言う国民は多いだろう。二大政党という国民意識の中に、今かろうじて民主という名前があるんだから。
今回挙げられた問題のかなりの部分は、批判のみに終始し、対案はなかった。
国会の規則は知らぬが、前原の演説の最後に「小泉さん私の演説どうでしたか?」を以って質問とするわけにはいかんのだろうか。批判ではなく、民主党はどう思うのかを聞きたい。批判や質問は、討論形式の委員会でやればいい。ついでに批判でさえも、民主党の考え方を絡めた対案形式のことを指す、というようになっている国民意識があると思う。それが対案形式を掲げたツケであり、何より期待であろう。
前原の言うようにA級戦犯が戦争責任者と完全に合致しないとすれば、これらの人々が祀られているから参拝に反対と言う理由もわからん。
そうであるならば、戦後いつくかの内閣が挑戦しようとし失敗した、戦争責任の包括的責任を内閣あるいは国会を中心に問う機会を持つべきだと前原さんは言うべきだと感じた。
その検証をモトに国立で特定の宗教によらない施設に誰を祀るのかということを含めて、提案すべき。問題があると自ら言ったA級戦犯を基準に何か言うのはなんかズレてる。
そもそも国論が二分しているのに、国内的問題として参拝を中止すべしというのは難しい。
ということは中韓が反発しているから反対と言う理由だ、国益と言う概念もここに含まれているだろう。「外国に言われるからではない」と、これを退けるならば、政教分離に違反するという論点のみでしか批判できない。
A級戦犯云々の前原の論理は片手落ちで説得力は無い。政教分離違反を前面に押し出さない前原さんの参拝批判は、彼の内心を小泉に押し付けるものだといつも思う。
A級戦犯云々よりは、共産党の「首相が参拝するということは、国家が靖国史観にお墨付きを与えるということだ。」という主張の方がまだ理解できる。
もっとも私は総理大臣でもなんであろうと内心の自由は憲法によって保障されている、総理にも公私の別はある、と考えるので総理の参拝には賛成でも反対でもない。従って、政教分離規定と内心の自由を保障する規定を守るために、記帳時に「内閣総理大臣」などと書くことは慎むべきだと考えるし、ましてや総裁選時に参拝を公約にするなどということは言語道断だ。しかし、そういうことを考慮しても小泉純一郎の靖国参拝を批判することは他人にはできないと思う。
靖国参拝や特定の宗派に依らない国立追悼施設については、「いつか」また書いてみようと思う。
私は支持政党は無い。だからこそ、政権交代という一点のみ(政官業の癒着等々を一掃するためにも)で民主党を支持したいと思っている。そんな国民は多いだろう。ぜひ民主党にはその大きな国民の期待にこたえてもらいたい。
最近、間もたせ投稿が多い私です。。内容がないよう。。