2006年03月30日

小学校英語、必修化を提言 中教審、高学年で週1時間

小学校段階の英語教育について検討してきた中教審外国語専門部会は27日、全国一律に小学校で英語を実施する「必修化」を提言する審議経過をまとめた。今後、親部会の教育課程部会で授業時間数などを審議するが、導入への異論はほとんどなく、正式に必修化が認められる見通し。
 成績をつける教科とはせず、5、6年生は週1時間程度、共通の教育内容を設定することを提言。コミュニケーション能力の育成を重視するとした。
 中教審の最終決定を受け、文科省は2006年度にも改定する小学校の学習指導要領に必修化を盛り込む。
(共同通信) - 3月27日17時15分更新


中途半端なニュースが入ってきた。
教育は非常に興味のある分野なので、取り上げて批判に晒されてみようと思う。

これはおそらく、中学校の英語への入門・布石として意識したと思う。ALTなどを活かし、コミュニケーション能力を養成しようという狙いなのだろう。
断言する、週一回の授業でコミュニケーション能力が養成できるわけがない。小学校高学年といえば、目本語にどっぷりと10数年浸かってきた年代だ。いろんな不都合はあるにしても、5文型から教えるのが妥当な線だ。(今、中学では5文型教えないらしい。これやりだすと、前から順番に英単語の目本語訳を当てはめて、結果意味の通らない邦訳ができあがるっていう奴になる。文部科学省は大失態をやっているわけだ。)
他言語を小さいときから学習するという利点はたくさんあるだろう。他言語への意識的な壁を取り払う作用があろうし、話す聞くということについてはそりゃもちろん幼少期からの教育は有利だろう。けれども、小学校高学年ではもうそれを期待できない。
幼少期目本にいれば、目本語を話していれば何も問題はない。普段話す環境にないのに、週一回だけやるなんて何の意味もない。
また、小学生も週一回の授業ということを知れば、その授業は重要だと思わない。音楽の授業を重要だと思っていた人がいないのと同じことだと思うのだ。まして、成績をつけないなんて学校は遊びに行く場所ではないのだ。それなら国語をやってなさいってなもんだ。
また発音ということを考えれば、幼少期に比べれば難しいとはいうものの、大人になっても鍛えられる。しかし、所詮言語なのであって「伝わればいい」のであって、そもそも上手な発音なんて必要ではない、という立場の私だ。
まして、国語・算数・理科の授業時間を増やそうってことになったばかりなのに、英語なんてやってる暇なし。

英語なんて、中学高校とちゃんとやれば、読めるようになる。今読めないのは、中学高校でやってなかったということであり、それを小学校からやり始めたから解決するようなもんではない。話す・聞くについては、その必要に迫られた時にしか、結局養えない力である。必要に迫られたときにやれば、効率も上がるってもの。

そんなことよりも、常用漢字くらい全部小学校で教えなさい。だいたい混ぜ書きなんて意味ない教え方はやめてくれ。「りょう理」読めたって、街のどこに「りょう理」って書いてあるんだ。「料理」を「りょうり」って読めて認識できることに価値がある。結果的にそれが学習のスピードアップ、効率化にもつながるのじゃないのか。

ちなみに、教育基本法は憲法よりも抽象的で、というか憲法条文をなぞっているだけで、それはそれで必要な法律であることには間違いないのかなあと思うけれど、教育基本法に「愛国心」が明記されても、それがどうしたの?って感じもする今日この頃。
名門家のお嬢様に社長である父親が「あの人がお前の夫だ、愛しなさい」って言われてもお嬢様は愛さないんじゃないかってのと同じで、強制されても困るって結構醒めた目で見てることは非国民か。

私は、そもそも、教員が公務員である必要がないと思っていて、もし人間性が重要だというなら、教員免許試験のときに厳しく審査をして更に最近言われるように免許を更新制にするのも一案。株式会社の学校がいいかはともかく教育に競争は不可欠だと。受験ってのがそもそも競争なのに。

ついでに言えば、高校というのはもっと自由化してもいい。高校教科書検定は不要だ。
道徳教育という視点では、義務教育では社会規範や道徳などを教える。高校では、その実践段階というような区分けもいい。
高校は勉強するところなのだ、という完全なる位置づけ。実際進学校は予備校のようなものになっているだろう。そんな教育を保護者も望んでいる。

ちょっと思ってること、箇条書きメモ
授業時間確保
・学校にクーラー
・夏休み大幅短縮(春休み並みに)
・中学校は土曜日も終日授業
・小学校は親とどっかでかけなさい。友達と大いに遊びなさい。
・小学校・中学校の授業時間を増やす、下校時間を遅らせる。低学年も高学年並の授業時間。
競争原理
・教員の非公務員化
・複数高選択制、学区を広げることの、延長としてスクールバスを大活用すべき。あくまでその延長に安心安全のためという付加価値。
・高校教科書検定廃止

小泉さんは、教育の機会が平等でもないのに、格差拡大を容認する。重要なことは塾に行かなくても、十分な学力をつけられるという、「義務教育下での塾不要宣言」なのだ。機会平等ではない現時点で、小泉さんの教育論は終わっている。

ついでだから、書きとめてたのも公開。
・高校を卒業しても近現代史について議論できるような人はなかなかいない。
中国の留学生と目本近現代史について議論すると目本人の大学生は黙りこくったまま、中国人の方が曲がりなりにも目本の歴史を知っている、というのはよく聞く話。

・圧倒的に学習時間が足りない。
高校の先生の近現代史を学ぶあたりの時期の口癖は「時間やばいなー。」だろう。

・高校在学時あるいは卒業後に独学で現代史を勉強する、あるいは大学史学科で日本現代史を学ばない限り、いわゆる「自虐史観」「東京裁判史観」と言われるような歴史観しか持てない。
「目本は悪いことしたんだーめちゃめちゃ悪かったんだー」という感覚しか持てない。

・大学入試において近現代史の出題比重が高くなってきたとはいえ、まだまだ一部の大学の努力にしか過ぎない。
高校では「入試にあまり出ないから」という理由で近現代史がまだまだないがしろにされている。入試のポイントだけ教える先生、「ここは自習でもいけるから授業ではやらない。」という先生。

・中国でのデモのときに目本人がテレビインタビューなどを受けている人を見て思ったのだが、「なんにもわからない」のに「とりあえず」中国の国民は暴力的だ野蛮だ、と言う。マスコミの報道のみで左右される目本人。

・「東京裁判史観」と述べたが、高校で一番採択率が高いといわれる山川出版詳説日本史B最新版で東京裁判に関する教科書本文記述(p348)は、実質3行あるかないか。
しかも、実質内容は0だ。p349にはちょっとしたコラムが書かれていてパル判事などの名前はあるが、これまた実質、内容のない記述である。教科書から東京裁判がなんであったかを知ることは到底出来ない。主に自民党議員がテレビ等で発言される事後法による裁き、戦勝国による一方的なものであったということなどの「事実」は一切書かれていない。ABC級戦犯の違いが分かる国民はどれだけいるだろうか。「東京裁判史観」に縛られる国民が東京裁判のことがわかってない現状はこの教科書記述と大いに関係があるとも言える。

戦後60年、黒船来航から150年余り、目本がものすごい速度で駆け抜けた時代をもっと学習すべきだろう。
例えば日本史で言えば黒船以前の歴史の学習内容を大幅カットしてでも近現代史を学ばせる必要があるのではないか。国語の古典や社会の公民科ともしっかり連携をとればもっと効果的な歴史学習もできるだろう。
原始時代や古代中世のことを、今ほど深く学習し、それによって近現代史がなおざりにされるのは本末転倒だろう。
読みもしない、内容も知らない、書物の名前をただ覚えさせる歴史教育。何をしたのかも教えない人物の名前をただ覚えさせる歴史教育。
教育の無駄の省けば、もう少し内容の濃い学習ができるだろう。教科書が厚くなれば、あるいは薄くなればいいってもんじゃない。
東京大学の地理歴史入試。これは、ほんとに勉強できてないと解答できない。(私は解答できない。。)
慶応早稲田の歴史入試問題、詰め込んだものが勝つもの。これが私立トップ校で平然と行われている。

歴史の評価は時代が下すものだろう。でもそのとき、評価を下すのは学者だろうか、政治家だろうか。せめて国民一人一人が自国の歴史を評価できるくらいの判断材料を持つことは必要だろう。

途中から何言ってんだか自分でも分からないようになってきたが(笑)、英語教育も「やるならやる」ってことでお願いしたい。中途半端にやっても意味はないし、そもそも目本語でモノを考えられて、それを英語で発信できることこそが真の国際人なのだ。
恋愛は言葉では言い表せないものを運んでくれる。それは言い表せる言葉を知らないということであり、すなわち考えるための語彙がないということであり、恋愛の何とも言えぬあの感じは、国語学者でも追っついていないということだ。何が言いたいかっていうとよくわからないのだけれども、モノ考える時に一番必要なものは言葉だ。
中途半端に英語的価値観に染められちゃったら、国際人でも目本人でもなく英米人でもなく、何人かもわかんないような人間が出来上がってしまう。いや、週一のお遊び授業で、英語的価値観なんてものは生まれない。日常生活の中で英語的価値観に侵食されている、というのが正しい表現だろう。
本人が英語を話せないのは、中学高校の授業が悪いのである。いや、それさえ悪いものではない。中学高校のカリキュラムをちゃんとこなせば、ほとんどの英文なんて読める。
上手な発音も大事だが、言語なんて所詮相手に伝えられればいいのである。英語嫌いにさせない教育を考えるほうが先決なのだ。
英語教育を小学校から始めるくらいなら、近現代史を学ばせるべきだ。


一部3月30日24:00分くらいに追記訂正した。
posted by 総理大人 at 21:23| Comment(9) | TrackBack(3) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

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Posted by e-アフィリ at 2006年03月30日 22:22
こんばんは。

面白いこのエントリーを読ませていただきました。

現在行われている「総合的な学習の時間」を国語や算数に割り当てれば良いのにと思っておりました。

英語が週1時間で高学年からであれば、仰るとおり意味がありませんね。

確かに日本史の近現代史は学習不足です。
その辺も補強したいところです。

義務教育の民営化は、折込済みと見ています。

きっと近いうちに実施されるでしょう。
Posted by あくてぃぶ・そなあ at 2006年03月31日 19:18
義務教育の民営化というか、競争激化は本当に期待されます。授業時間を確保することによって、貧乏も貧乏なりの「最低ラインの高い教育」が受けられればいいなあって思います。
高校以上は、国は奨学金体制への移行をするべきだと思います。金だけ払うってやつで、中国に円借款するなら、学生にもっと円借款?すべきかなあ。

近現代史は、かくいう私もまったくダメなんですよ。笑
Posted by 総理大人 at 2006年03月31日 21:23
小学校で英語をお遊び程度にやるぐらいなら国語をやれという意見に大賛成。「そもそも目本語でモノを考えられて、それを英語で発信できることこそが真の国際人なのだ。」これに尽きます。大体、日本人は、口頭で日本語を自在に操ってコミュニケーションする能力に劣っていて、単に言葉自体を話す能力が低いだけのような気がする。別に英語を話す能力だけに問題があるわけではない。英語を話さなきゃいけない環境に放り込まれれば嫌でも習得しますよ。そのためには、実は現行の日本の文法中心の英語教育は潜在的に役に立つものだそうです。
歴史教育に関しては、初等教育では人物中心でやるべきでしょうね。歴史上の人物と「おなじみさん」になっておかないと、どうしてもわけが分からないまま終わってしまう。中学高校と進むにつれて制度論・抽象論にシフトしていくべきです。似たようなニュアンスの内容で覚える事項だけが増えていくような現行の歴史教育は合理的じゃないと思いますよ。近代史をきちんと身に付けさせることは確かに必要不可欠ですが、古代中世軽視はよくないです。そこら辺の時代のことが分かっていないと、中華文明圏の強烈な引力からどう逃れてきたのかという、我が国の歴史の根本に関わる部分が理解できなくなります。
あと、教育基本法における愛国心の話ですか。教育基本法に「愛国心を育てる」と書けば社会の乱れがなくなると思っている人がいるとすれば能天気きわまりないですよ。愛国心は自然で素朴な感情なので、日教組みたいな輩がとりたてて阻害しなければ勝手に育つものです。阻害要因を除去することが重要です。そういう意味の愛国心ではなくて「国家社会に対してきちんと責任を負うべき」という意味であれば「愛国心」という曖昧な言葉を使うのではなく、明確に「各人が民主国家の一員であることを自覚し、国家社会に対する責任感を涵養すること」を目標に教育すべき。これは民主主義だからこそ当然です。民主主義の下では「国=国民が作る社会」が建前なんだから…。
Posted by 猫研究員。 at 2006年04月04日 08:00
いつもありがとうございます。

古代・中世大幅削減しても、十分つながると思いますよ。
今のは、下手な小説読んだみたいで、伏線張られた割にそれを回収できないまま終わってしまうようなもの、というのが印象です。で、結果歴史はおもしろくないってなるんだと思います。大事な伏線なのに回収できてないものもあると思いますが、回収できなければ大事ではないという結論になっちゃう。
最大の難関は授業時間なので、小学校英語にしても時代時代の歴史教育にしても優先順位の問題であることは間違いないと思います。
小学校では人物中心に詰め込みとか具体的な教授法はわからないですが、自分は別に「おなじみ」とか意識したことなかった。「おなじみ」かどうかはあんまり関係というのが自分の経験なんですが、竜馬とか家康とかは「おなじみ」といえるでしょうし、たしかに親近感というか入り口にはいいかもしれませんね。
歴史が面白いと感じられたときは、点と点がつながったときで、伏線回収も含めて、「つながり」とか「流れ」を重視した教育法がもっとも効率よくって楽しく興味を持てる学習法だと思ってます。古代・中世については回収できない点を排除すればいいと思いますし、近現代史を先に勉強することで、古代・中世の点が逆に学びやすくなることも多いはずです。

正直、教育基本法改正は全然興味がわかないんです。教育基本法が変わればなにが変わるのかってことに興味はあるけど、何も変わらないと思う。
「愛国心」はどういう意味なのかわかんないです。何を期待されてるのかもわかんない。
「国を愛する心」と「国を大切にする心」でどうか勝手に折衝してくださいって感じです。こんな言葉遊びじゃ世論も盛り上がらないはず。
それにしても「涵養する」って言葉知らなかった。笑 いい言葉ですね。
「愛せ!」は強制に似合わないけど「責任を持て!」は強制に似合う。強制じゃなくて涵養でしたね。
Posted by 総理大人 at 2006年04月04日 22:52
「つながり」や「流れ」を重視しろというのは全く同感です。初等教育で人物重視にするべきというのは、流れを知るための橋頭堡になりうるからです。私の経験では、やっぱり具体的な人物を初等段階である程度多く知っておくことは、その後の歴史学習にとって大いにアドバンテージになります。近現代史を先にやるかどうかというのは、教える人に任せてしまっても構わないと思います。これは、技術論ですから。断絶が大きいと思われる時代境界から始めれば、そんなにおかしなことは起こらないはずです。例えば、日本の時代区分は、安土桃山を境に大きく二つに区分するのがよいのではないかという学説もあるので、そこから始めるのもよいでしょう。私の個人的趣味では初めから順序良くやってくれた方がしっくり来るけど、最終的に歴史のあらましが頭に入りさえすればよいのです。まあ、小中学校では縄文以前は不要だと思いますが…。
「古代中世軽視はよくない」と言った趣旨は、さっき言った大きな時代区分を境に後半だけやればいいなんていう極論があり、それに類するやり方には大反対だということです。必ずしも古代中世に関する記述量を減らすべきではないという主張ではありません。メリハリは重要なわけで…。これは近代にも当てはまることで、近代が重要だといって何でもかんでも細かくやればいいわけではないことは言うまでもありません。
話は変わって、愛国心と責任感について。愛国心は心情的なもので責任感は理性的なものです。両方そろって立派な国民ということになるのでしょう。煎じ詰めれば、一旦緩急あれば、こりゃ古風だな、一朝有事があれば、これも古風だわ、何か国家にとって緊急事態があれば、武器を取って戦う覚悟があるかどうか考えてみて、少しでもあれば人並みの愛国心と責任感があると言ってもよいのではなかろうかと思いますね。実際のところは、訓練も全然なっていない民間人が銃を持って戦ってくれるよりは速やかに避難してくれる方が、自衛隊にとっては遥かにありがたいことなんですが…。愛国心の意味するところが分からないとのことですが、文字通り「自国に愛着を持つ心」ですよ。きっと、当たり前すぎて逆にピンとこないのでしょう。ブログで色々提言なさっているのも目本にとってよかれと思ってされているのでしょう?それで十分ですよ。愛国心が問題になってくるのは、日教組の教師がとんでもない「反日教育」をするせいで「日本は嫌いだ」なんて口走る子供が出てくるからです。自国を正当化しすぎるという方向でバランス感覚が失われるのが普通ですが、現今の我が国は正反対ですからね、歴史上まれに見る珍事だと思いますよ。過去の失敗から学ぶのは必要なことですが、ものには限度というものがあります。「日の丸の白は白骨で赤は血の色」なんて教えられたら、やっぱりおかしくなるんじゃないですかね。「阻害要因を取り除けば愛国心は勝手に育つものだ」と申し上げた所以です。
国旗・国歌に正しく敬意を払えというのは、愛国心というよりは礼儀作法・常識の問題だし、私などは皇室に対する敬意をもっと払えと思いますが、これも我が国を象徴する存在に対して儀礼的であれ敬意を払うべきだろうという考えに基づいています。
Posted by 猫研究員。 at 2006年04月05日 06:26
>一旦緩急あれば

は、どうでしょう。私にもそんな気はないかもしれませんね。だからこそ、教育基本法に書いても仕方ないって思うんです。そんな気になるには、そんな気になれる国が必要なわけで、求心的なことだもんで。でもそんな気になれる国を作るためには教育が必要ってまた振り出しに戻るか…。
でも一旦緩急あれば、皆武器を持つと思う。そんな気はないってのは、覚悟しようにも想像できないっていうことだと思います。

愛国心がわからないといったのは、自民党の求める愛国心がわからないということです。「自国に愛着を持つ心」であれば、そんなこと言われなくっても、みんなそなわっているわけで。社民党の支持者も共産党の支持者も日教組の方々も持ってることなんで、お上に言われても困るって。愛国心なんてのは自分勝手ですから、みな同じ愛国心を持つなんてのは不可能ですし、それこそ戦前回帰なんてことになるし、何より皆同じは気持ち悪い。日本のことが嫌いなのも、愛国心の一端であると思います。
日本国に住むことの、あるいは日本国民としての責任は行使しなさいって、それは教育にふさわしい内容だと思います。日本人に愛国心が欠如してるとは思わないけれど、責任感は欠如してると思います。うん、理性の崩壊って感じですかね。
とにかく、教育基本法が政治ネタになった時点で、なんか終わってます。もう教育基本法は国民の手の中にはないと思います。そういう意味では戦前の教育勅語の良き一面を感じます。
Posted by 総理大人 at 2006年04月06日 00:57
>愛国心がわからないといったのは、自民党の求める愛国心がわからないということです

正直言うと私ですらあんまり分からない(笑)どうも、ここで考えてる愛国心の定義と自民党の偉い人の愛国心の定義が違ってるんじゃないかと思いますね。自民党の偉い人たちが言いたいことは、ここで言ってる「国家社会への責任」まで含めている(あるいはそっちが重点かも)ということなんでしょう。真摯にそう考えている人だけじゃなくて、もしその他の色々な思惑に従って動いている人がいるとすれば遺憾なことです。
明確な定義なしで言葉遊びに終始しがちなのが、日本人の悪い癖だと思うなあ。教育勅語の方が具体的で明快な分だけ優れていると思いますよ。時代にそぐわない点は多いにせよ…。
Posted by 猫研究員。 at 2006年04月06日 02:40
「自民党の偉い人」が二回も出てくるのが何か大ウケです^^
表現えらびと言葉遊びは違うんだと思うんです。今回はどうも後者の様相が…って感じです。

Posted by 総理大人 at 2006年04月09日 01:10
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小学校での英語の履修について
Excerpt:  ブログ『目本国の行方』にこの事について書かれてあった。 確かに週にたったの1時間くらいでは、何の意味もないだろう。しかも高学年での履修だと言うのなら尚更だろう。中学校へのつなぎの意味もあるのだろうが..
Weblog: あくてぃぶ・そなあ
Tracked: 2006-04-01 08:31

教育基本法改正と愛国心―愛国心にも増して「国家社会への責任感」の涵養が重要だ
Excerpt:  教育基本法に愛国心を盛り込むべきか否か?基本的に、保守派と呼ばれる人々はこれに熱心であり、進歩派の人々は愛国心と聞いただけでアレルギーを起こしがちである。確かに、戦後の教育界が日教組を中心とする左翼..
Weblog: 猫研究員の社会観察記
Tracked: 2006-04-08 00:54

教育基本法改正案
Excerpt: 教育基本法改正案・・・愛国心。
Weblog: ニュースな日々−オレ流徒然日記−
Tracked: 2006-05-02 21:03
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