2006年03月30日

小学校英語、必修化を提言 中教審、高学年で週1時間

小学校段階の英語教育について検討してきた中教審外国語専門部会は27日、全国一律に小学校で英語を実施する「必修化」を提言する審議経過をまとめた。今後、親部会の教育課程部会で授業時間数などを審議するが、導入への異論はほとんどなく、正式に必修化が認められる見通し。
 成績をつける教科とはせず、5、6年生は週1時間程度、共通の教育内容を設定することを提言。コミュニケーション能力の育成を重視するとした。
 中教審の最終決定を受け、文科省は2006年度にも改定する小学校の学習指導要領に必修化を盛り込む。
(共同通信) - 3月27日17時15分更新


中途半端なニュースが入ってきた。
教育は非常に興味のある分野なので、取り上げて批判に晒されてみようと思う。

これはおそらく、中学校の英語への入門・布石として意識したと思う。ALTなどを活かし、コミュニケーション能力を養成しようという狙いなのだろう。
断言する、週一回の授業でコミュニケーション能力が養成できるわけがない。小学校高学年といえば、目本語にどっぷりと10数年浸かってきた年代だ。いろんな不都合はあるにしても、5文型から教えるのが妥当な線だ。(今、中学では5文型教えないらしい。これやりだすと、前から順番に英単語の目本語訳を当てはめて、結果意味の通らない邦訳ができあがるっていう奴になる。文部科学省は大失態をやっているわけだ。)
他言語を小さいときから学習するという利点はたくさんあるだろう。他言語への意識的な壁を取り払う作用があろうし、話す聞くということについてはそりゃもちろん幼少期からの教育は有利だろう。けれども、小学校高学年ではもうそれを期待できない。
幼少期目本にいれば、目本語を話していれば何も問題はない。普段話す環境にないのに、週一回だけやるなんて何の意味もない。
また、小学生も週一回の授業ということを知れば、その授業は重要だと思わない。音楽の授業を重要だと思っていた人がいないのと同じことだと思うのだ。まして、成績をつけないなんて学校は遊びに行く場所ではないのだ。それなら国語をやってなさいってなもんだ。
また発音ということを考えれば、幼少期に比べれば難しいとはいうものの、大人になっても鍛えられる。しかし、所詮言語なのであって「伝わればいい」のであって、そもそも上手な発音なんて必要ではない、という立場の私だ。
まして、国語・算数・理科の授業時間を増やそうってことになったばかりなのに、英語なんてやってる暇なし。

英語なんて、中学高校とちゃんとやれば、読めるようになる。今読めないのは、中学高校でやってなかったということであり、それを小学校からやり始めたから解決するようなもんではない。話す・聞くについては、その必要に迫られた時にしか、結局養えない力である。必要に迫られたときにやれば、効率も上がるってもの。

そんなことよりも、常用漢字くらい全部小学校で教えなさい。だいたい混ぜ書きなんて意味ない教え方はやめてくれ。「りょう理」読めたって、街のどこに「りょう理」って書いてあるんだ。「料理」を「りょうり」って読めて認識できることに価値がある。結果的にそれが学習のスピードアップ、効率化にもつながるのじゃないのか。

ちなみに、教育基本法は憲法よりも抽象的で、というか憲法条文をなぞっているだけで、それはそれで必要な法律であることには間違いないのかなあと思うけれど、教育基本法に「愛国心」が明記されても、それがどうしたの?って感じもする今日この頃。
名門家のお嬢様に社長である父親が「あの人がお前の夫だ、愛しなさい」って言われてもお嬢様は愛さないんじゃないかってのと同じで、強制されても困るって結構醒めた目で見てることは非国民か。

私は、そもそも、教員が公務員である必要がないと思っていて、もし人間性が重要だというなら、教員免許試験のときに厳しく審査をして更に最近言われるように免許を更新制にするのも一案。株式会社の学校がいいかはともかく教育に競争は不可欠だと。受験ってのがそもそも競争なのに。

ついでに言えば、高校というのはもっと自由化してもいい。高校教科書検定は不要だ。
道徳教育という視点では、義務教育では社会規範や道徳などを教える。高校では、その実践段階というような区分けもいい。
高校は勉強するところなのだ、という完全なる位置づけ。実際進学校は予備校のようなものになっているだろう。そんな教育を保護者も望んでいる。

ちょっと思ってること、箇条書きメモ
授業時間確保
・学校にクーラー
・夏休み大幅短縮(春休み並みに)
・中学校は土曜日も終日授業
・小学校は親とどっかでかけなさい。友達と大いに遊びなさい。
・小学校・中学校の授業時間を増やす、下校時間を遅らせる。低学年も高学年並の授業時間。
競争原理
・教員の非公務員化
・複数高選択制、学区を広げることの、延長としてスクールバスを大活用すべき。あくまでその延長に安心安全のためという付加価値。
・高校教科書検定廃止

小泉さんは、教育の機会が平等でもないのに、格差拡大を容認する。重要なことは塾に行かなくても、十分な学力をつけられるという、「義務教育下での塾不要宣言」なのだ。機会平等ではない現時点で、小泉さんの教育論は終わっている。

ついでだから、書きとめてたのも公開。
・高校を卒業しても近現代史について議論できるような人はなかなかいない。
中国の留学生と目本近現代史について議論すると目本人の大学生は黙りこくったまま、中国人の方が曲がりなりにも目本の歴史を知っている、というのはよく聞く話。

・圧倒的に学習時間が足りない。
高校の先生の近現代史を学ぶあたりの時期の口癖は「時間やばいなー。」だろう。

・高校在学時あるいは卒業後に独学で現代史を勉強する、あるいは大学史学科で日本現代史を学ばない限り、いわゆる「自虐史観」「東京裁判史観」と言われるような歴史観しか持てない。
「目本は悪いことしたんだーめちゃめちゃ悪かったんだー」という感覚しか持てない。

・大学入試において近現代史の出題比重が高くなってきたとはいえ、まだまだ一部の大学の努力にしか過ぎない。
高校では「入試にあまり出ないから」という理由で近現代史がまだまだないがしろにされている。入試のポイントだけ教える先生、「ここは自習でもいけるから授業ではやらない。」という先生。

・中国でのデモのときに目本人がテレビインタビューなどを受けている人を見て思ったのだが、「なんにもわからない」のに「とりあえず」中国の国民は暴力的だ野蛮だ、と言う。マスコミの報道のみで左右される目本人。

・「東京裁判史観」と述べたが、高校で一番採択率が高いといわれる山川出版詳説日本史B最新版で東京裁判に関する教科書本文記述(p348)は、実質3行あるかないか。
しかも、実質内容は0だ。p349にはちょっとしたコラムが書かれていてパル判事などの名前はあるが、これまた実質、内容のない記述である。教科書から東京裁判がなんであったかを知ることは到底出来ない。主に自民党議員がテレビ等で発言される事後法による裁き、戦勝国による一方的なものであったということなどの「事実」は一切書かれていない。ABC級戦犯の違いが分かる国民はどれだけいるだろうか。「東京裁判史観」に縛られる国民が東京裁判のことがわかってない現状はこの教科書記述と大いに関係があるとも言える。

戦後60年、黒船来航から150年余り、目本がものすごい速度で駆け抜けた時代をもっと学習すべきだろう。
例えば日本史で言えば黒船以前の歴史の学習内容を大幅カットしてでも近現代史を学ばせる必要があるのではないか。国語の古典や社会の公民科ともしっかり連携をとればもっと効果的な歴史学習もできるだろう。
原始時代や古代中世のことを、今ほど深く学習し、それによって近現代史がなおざりにされるのは本末転倒だろう。
読みもしない、内容も知らない、書物の名前をただ覚えさせる歴史教育。何をしたのかも教えない人物の名前をただ覚えさせる歴史教育。
教育の無駄の省けば、もう少し内容の濃い学習ができるだろう。教科書が厚くなれば、あるいは薄くなればいいってもんじゃない。
東京大学の地理歴史入試。これは、ほんとに勉強できてないと解答できない。(私は解答できない。。)
慶応早稲田の歴史入試問題、詰め込んだものが勝つもの。これが私立トップ校で平然と行われている。

歴史の評価は時代が下すものだろう。でもそのとき、評価を下すのは学者だろうか、政治家だろうか。せめて国民一人一人が自国の歴史を評価できるくらいの判断材料を持つことは必要だろう。

途中から何言ってんだか自分でも分からないようになってきたが(笑)、英語教育も「やるならやる」ってことでお願いしたい。中途半端にやっても意味はないし、そもそも目本語でモノを考えられて、それを英語で発信できることこそが真の国際人なのだ。
恋愛は言葉では言い表せないものを運んでくれる。それは言い表せる言葉を知らないということであり、すなわち考えるための語彙がないということであり、恋愛の何とも言えぬあの感じは、国語学者でも追っついていないということだ。何が言いたいかっていうとよくわからないのだけれども、モノ考える時に一番必要なものは言葉だ。
中途半端に英語的価値観に染められちゃったら、国際人でも目本人でもなく英米人でもなく、何人かもわかんないような人間が出来上がってしまう。いや、週一のお遊び授業で、英語的価値観なんてものは生まれない。日常生活の中で英語的価値観に侵食されている、というのが正しい表現だろう。
本人が英語を話せないのは、中学高校の授業が悪いのである。いや、それさえ悪いものではない。中学高校のカリキュラムをちゃんとこなせば、ほとんどの英文なんて読める。
上手な発音も大事だが、言語なんて所詮相手に伝えられればいいのである。英語嫌いにさせない教育を考えるほうが先決なのだ。
英語教育を小学校から始めるくらいなら、近現代史を学ばせるべきだ。


一部3月30日24:00分くらいに追記訂正した。
posted by 総理大人 at 21:23| Comment(9) | TrackBack(3) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月18日

なんでもかんでも「さま」なの?

「皇太子さま」「皇后さま」

「愛子内親王殿下」ってのもお子ちゃまへの敬称としては硬すぎるから「愛子さま」でかまわないと思う。「雅子さま」でもかまわないし、「徳仁さま」でも「美智子さま」でもかまわない。まあ名前だから。
けれども「皇太子さま」「皇后さま」は気持ち悪くて、体がかゆい。昔からこういう報道だったのだろうか。。
やっぱり「皇太子殿下」であり、「皇后陛下」だろう。
でも、というか、さすがに「天皇さま」と言うマスコミには出会っていない。天皇だけは「天皇陛下」だ。なぜだ。
もう一つ、いつから「様」じゃなく「さま」になったのだろう。これも昔からなのだろうか。最近なんでもかんでもひらがなだなあ。「さま」も好きじゃない。

いや、さっきテレビで「こうたいしでんか」ってナレーションがあって、やっぱりこれだよなあと思ったのだ。逆に新鮮なナレーションだった。
それにしても皇太子の笑顔はなんか目本一だなあ。「絶対ええ人そう」なのだ。

それにして「最近の諸問題」という分類は正しかったのかな…

cf.典範23条
posted by 総理大人 at 23:26| Comment(5) | TrackBack(0) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月15日

憲法改正私案、改正要綱(1)

私は、憲法は不磨の大典ではあってはならないと思う。一方、現実を憲法に合わせるのか、憲法を現実にあわせるのか、そういう議論がある。私は前者の立場だ。
そして私は、憲法にできるだけ細かいことを書き込みたい。ちゃんと国民に見えるところで戦ってほしい。そして国民が判断したい。

「改正のハードルの高さ」「規定の詳細さ」「変化への柔軟な対応」二つまでは両立できるが、三つはできないという猫研究員の言葉が記憶に残っている。

規定は細かくする代わりに、国会の発議要件を各院の過半数に変更する。
しかし、選挙のたびに、政権交代のたびに、憲法改正が発議されてちゃたまらない。それは憲法の権威を低める行為でもある。私は、数回の国政選挙を通じて憲法に関する議論が修練されていくのぞましいと思う。またそうでないと国民投票で否決されてしまうというのは海外の例でそうらしい。
そこで、憲法施行から5年間は国民投票を実施できないように規定したい。
「変化への柔軟な対応」はクリアできていないという反論はあろうが、5年後も見据えられない憲法なんて憲法じゃないのだ、と思う。最悪3年だろうか。笑
もう一つ、5年というのを定めることにより、国民的な大議論も自然発生しないだろうか。憲法を変えるにしても変えないにしても、議論があることは大いに歓迎すべきである。
アメリカでは大統領選の間の年を中間選挙などと言って、また大統領選の年は一年中徐々に徐々に盛り上がっていくような印象を受ける。大統領選の年を中心に回っている感じ。そんな盛り上がりが目本でもあればいいのではないだろうか。

これは岩国の件から派生した完全な思いつきなので、またなんか矛盾が隠れていそう。。
posted by 総理大人 at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月09日

「追求」と「追及」は違うのよ。

追及:責任などを問い質すこと。

追求:目標を追い求めること。

ついでに、

追究:不明な事を明らかにしようとすること。

って区別がある。

「見慣れて」ないと難しい区別だと思うが、これも人々が本を読む回数が減ったことの悪影響なのか。
責任は「追及」するものと決まっている。

民主党偽メール関連の記事を見ると、だいたい半数ぐらいが「追求」になっている。ただの変換間違いとは思えない確率だ。
国会議員のブログまで「追求」と書かれているものがある。アホの国会議員とアホの党幹部が起こしたことを、またまたアホの国会議員が意見を書いて、それを見たアホの国民が余計アホになっちゃうっていう負の連鎖を想像すると、せめて国会議員は正しく書けよ、と思う。
また、いわゆる「人気ブログ」にも平気で毎回「追求」って書いてあるものがある。

「責任を追求」を「見慣れちゃう」ことは大変危険なことだと思う。

「責任を追求する」を見る度に体がかゆくなるような思いがしてたので、耐え切れずエントリー化。間持たせ記事。


posted by 総理大人 at 00:54| Comment(3) | TrackBack(1) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月05日

「男系継承維持かつ女性天皇容認」はやはりありえない。

 なぜか。天皇制の瓦解につながるからだ。

 たとえば、愛子さんが天皇になる。誰かが愛子さんに独身でいなさい、と言えるのかというと言えない。であれば、普通に考えると愛子さんは結婚し子供を生む。しかし、女性天皇の子つまり女系天皇は天皇になれないのだから、愛子さんのお子さんは天皇にはなれない。
 では、誰が天皇か。それは旧宮家男系男子が皇室に復帰し、そして新皇族となった者の子が天皇ということだ。たしかに、この男系天皇はお父さんと違い生まれたときから皇族で、生まれたときから国民に見守られ育てられた。しかし、旧宮家とは何かというと、我々一般の国民から見れば、ただの人、一般人だ。旧宮家は純然たる一般人ではないと私も頭では思うが、心では一般人だと訴えている。失礼な話で不敬罪にでも問われるかもしれないが、旧宮家が皇籍に復帰するということはその辺の八百屋の息子が皇籍に入ることと同じだと思う国民は多いだろう。そんな一般人の子が天皇になるということが可能だろうか。いくら男系維持のためと言えど、一般人の子が天皇になれるだろうか。
 おそらく、こういうことになるというのは容易に想像できるだろう。つまり、国民から「一般人の子より愛子さんの子供を天皇にしよう」という声が上がる。これは当たり前だ。男系が明文化されたルールだろうが、伝統だろうが、現天皇の子が天皇になれなくて、一般人の子が天皇になる。どちらを尊敬できるか、どちらを崇められるか、必然だろう。たしかに、2000年という長い期間から見れば60年なんて大したことないが、しかし人間の寿命なんて80数年だ。ましてや、現在50代以下の人々から見れば旧皇族は旧皇族ではなく、一般人なのだ。天皇制は国民の連続する支持により支えられてきた。昔は、60年ぐらい皇籍の空白ができてもよかったかもしれない。現代とは圧倒的に生活が違う。現代は情報化社会だ。江戸時代の人々は皇族の顔なんて知らなかったし、誰が皇族かどうかもわかんなかったろう。一般人が天皇になると国民の支持が一世代二世代空白になる。その空白が何を意味するのかは、容易に想像できる。
 世の中では、これだけ皇位継承問題が話題になっているのに、女系天皇と女帝の違いがわからない人が多い。どだい国民的な議論なんて無理だということだ。だって興味ない者に議論しろと言うのか。これだけ話題になってるのに女系と女帝の違いもわからないような興味ない国民にこれ以上何を求めると言うのか。百歩譲って、国民的議論があっても、皇室典範に改正は国会議員が行う。国民は間接的にしか参加できない。自民党内でも民主党内でも意見が分かれているのだから、選挙で意思を反映するのも無理だ。今、皇位継承問題に興味ない者は、おそらく一生興味ない。今、あなたのまわりでネット以外で天皇制が議論されているか。されてないだろう。それが国民の現実だ。
 そんな国民が、天皇制は要らないといったらどうなるだろう。天皇制はなくなる。そんな国民が多いということを考えたら、一般人の子と愛子さんの子を比べるようなことはできない。今まで興味のなかった国民が、いざ一般人の子か愛子さんの子かどちらが天皇にふさわしいかというときに都合よく悪気もなく声を上げるのだ、「愛子天皇の子を天皇に」。そこでもし男系を維持しようとするなら、天皇制廃止論につながる。
 私は一般人の子を天皇だとは認めない。愛子さんの子がいれば、なおさらだ。
 愛子さんが天皇になることは容認でその子は天皇になれない、というのは天皇制の瓦解につながると思う。そう思えない人は、想像力のない人だろう。逆の意味で国民世論をなめてる。
 私は天皇制を維持したい。だから男系を維持するなら、愛子さんを天皇にしてはいけない。つまり、愛子天皇の後ではなく現在の皇太子の後を考えなければならない。旧宮家復帰などと予定するなら、議論にそんなに猶予はないということだ。そして、興味のない国民が大半の中、国民的議論なんて無理で、天皇制についてそこそこ勉強した人は、もう自分の意見を持っている。両者の溝なんて埋まらない。国民的な意見一致なんて無理だ。慎重に議論しようなんてしらじらしい。
 戦前も戦後も、天皇制は国民の支持によって成り立ってきた。もっともっと昔も民衆からの、また公家たちからの求心力があったから、つまり支持があったから天皇制は維持されてきた。信長も、GHQさえも天皇制は壊せなかった。国民的な支持、求心力があったからだ。天皇制というのは、国民の支持の歴史だ。国民の支持がなければ、伝統も歴史もへったくれもなく、天皇制は崩壊する。それこそが天皇制の歴史と伝統だ。
  
 これが、過去の10代8人の女帝の歴史だ。過去の女帝の歴史と、愛子天皇を同一視するのは大きな誤りで、今想定する愛子天皇のような先例はない。女帝には先例があるから、愛子天皇可というのは大きなまやかしの論法か、ただの知識がない者が言うことだ。女帝は独身・天皇の未亡人であったから、皇位の継承は揉めずにこられた。それが先人たちの知恵だ。だから男系継承の場合は、愛子天皇は否だ。愛子さんが天皇になった時点で、男系継承の道が絶えるか、天皇制そのものがなくなるかどちらかだ。
===
33代    推古天皇    敏達天皇の元皇后
35・37代 皇極・斉明天皇 舒明天皇の元皇后 
41代    持統天皇    天武天皇の元皇后
43代    元明天皇    草壁皇子の未亡人(文武天皇への中継ぎ)
44代    元正天皇    独身 草壁皇子の子(聖武天皇への中継ぎ)
46・48代 孝謙・称徳天皇 独身 聖武天皇の子(天武=持統系最後の一人にして外戚が藤原氏)
109代   明正天皇    独身 後水尾天皇の子(外戚が徳川(源)氏)
117代   後桜町天皇   独身 桜町天皇の子(後桃園天皇への中継ぎ)
http://homepage2.nifty.com/nextgate/side_e_11.htm
===

 男系維持派の方にアドバイスしたい。
男系継承をするなら、愛子さんを天皇にしてはいけない。つまり夫子持ちの女帝を認めてはいけない。一度国民に愛子天皇を見せてしまうと、直系継承への思いが加熱し、もう消えなくなる。

 私はいつも言ってる、側室制度を訴えない男系維持は無責任だ。側室制度は訴えない人は遺伝子レベルで男女産み分けを訴えないと無責任だ。そうでなければ、男系継承維持なんて先送り論に過ぎない。将来の世代に、今と同じような苦しい議論をさせようと思う者の気が知れない。しかも、男系男子がいなくなるのは、そう遠い将来ではないだろう。我々の世代で結論を出すことが我々の世代に課せられた責任だ。その責任とは、女系容認、双系直系継承だ。

関連記事
現代の天皇にはどうしてカリスマがあるのか。〜皇位継承は直系長子優先がいい〜
男系維持で国民に支持される安定的な皇位継承は可能か。
憲法改正私案、国民投票(1)概要
posted by 総理大人 at 11:12| Comment(2) | TrackBack(2) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月27日

民主党前原代表の代表質問

たとえば98年の建築基準法改正には、民主党も賛成した。それについても謝罪も反省も改善策も民主党から出てこない。行政・自民党への批判だけ。また、耐震偽装が小泉の進める改革とリンクしていたかというと、そんなに因果関係はないだろう。
候補者選定については、むしろ民主党には分はない。しかし自民党を追及するのは当然で、さらにはその中で民主党自らの問題も改善「具体」策をキチっと示さないと、「覚せい剤議員のお前とこに言われたない」と、そりゃあなるだろう。

ホリエモン事件では、株式無条件分割商法改正の際、民主党は賛成したのか反対したのか知らないけれども、自民ではすでに再規制みたいなことを言っている。それがいいことかわからないけれど、ホリエモン批判だけで、ルールの方の話は民主党から聞こえてこない。聞こえてこないだけであるのかもしれない。
経済活動では、モラルとか実態の無いもの、つまり十人十色の感性に頼ろうとするのは危険で、萎縮効果も招きいいことなんてない。モラルはルールではない。グレーとは脱法的とは、つまりシロなんだから、グレーをクロにしようとするなら、それはモラルとか法の趣旨に頼るなんてのではなく、ルール(法・政令等々明文化された規定)を改正することを提起しないと、こと経済活動においてモラルに頼るのは大反対だ。むしろ、「法に触れなければ」「何をやってもいい」ということが大事だと個人的には思う。国際的に経済が動く中で、「日本的モラル」に頼るのは国際競争力を阻害する。また外国資本にいいように食われる証券市場になるだろう。
私は堀江貴文がグレーや脱法的なことをしたというのは評価できると思う。一線越えて、クロに行ったことがダメなわけで何もかも批判するというようなマスコミはいつもながら大嫌いだ。ほんと大嫌いだ。たまらなく嫌いなんだ。手の平を返しすぎなんだ。キライだ。もういい??

また、前原さんの言うことにはすべて「お金」が必要で、財源・さらには財政再建という至上命題に対して、民主党がどんな対応をするのかというのはまったくわからなかった。

あと、代表質問自体いらないというか、あんな中身の無いしょうもない質問形式ではなく、「前原の施政方針演説」を聞きたいと言う国民は多いだろう。二大政党という国民意識の中に、今かろうじて民主という名前があるんだから。
今回挙げられた問題のかなりの部分は、批判のみに終始し、対案はなかった。
国会の規則は知らぬが、前原の演説の最後に「小泉さん私の演説どうでしたか?」を以って質問とするわけにはいかんのだろうか。批判ではなく、民主党はどう思うのかを聞きたい。批判や質問は、討論形式の委員会でやればいい。ついでに批判でさえも、民主党の考え方を絡めた対案形式のことを指す、というようになっている国民意識があると思う。それが対案形式を掲げたツケであり、何より期待であろう。

前原の言うようにA級戦犯が戦争責任者と完全に合致しないとすれば、これらの人々が祀られているから参拝に反対と言う理由もわからん。
そうであるならば、戦後いつくかの内閣が挑戦しようとし失敗した、戦争責任の包括的責任を内閣あるいは国会を中心に問う機会を持つべきだと前原さんは言うべきだと感じた。
その検証をモトに国立で特定の宗教によらない施設に誰を祀るのかということを含めて、提案すべき。問題があると自ら言ったA級戦犯を基準に何か言うのはなんかズレてる。
そもそも国論が二分しているのに、国内的問題として参拝を中止すべしというのは難しい。
ということは中韓が反発しているから反対と言う理由だ、国益と言う概念もここに含まれているだろう。「外国に言われるからではない」と、これを退けるならば、政教分離に違反するという論点のみでしか批判できない。
A級戦犯云々の前原の論理は片手落ちで説得力は無い。政教分離違反を前面に押し出さない前原さんの参拝批判は、彼の内心を小泉に押し付けるものだといつも思う。
A級戦犯云々よりは、共産党の「首相が参拝するということは、国家が靖国史観にお墨付きを与えるということだ。」という主張の方がまだ理解できる。
もっとも私は総理大臣でもなんであろうと内心の自由は憲法によって保障されている、総理にも公私の別はある、と考えるので総理の参拝には賛成でも反対でもない。従って、政教分離規定と内心の自由を保障する規定を守るために、記帳時に「内閣総理大臣」などと書くことは慎むべきだと考えるし、ましてや総裁選時に参拝を公約にするなどということは言語道断だ。しかし、そういうことを考慮しても小泉純一郎の靖国参拝を批判することは他人にはできないと思う。
靖国参拝や特定の宗派に依らない国立追悼施設については、「いつか」また書いてみようと思う。

私は支持政党は無い。だからこそ、政権交代という一点のみ(政官業の癒着等々を一掃するためにも)で民主党を支持したいと思っている。そんな国民は多いだろう。ぜひ民主党にはその大きな国民の期待にこたえてもらいたい。

最近、間もたせ投稿が多い私です。。内容がないよう。。
posted by 総理大人 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(1) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月19日

今日の参考人招致

民主党下條みつはひどかった。そう思った国民も多いだろう。
国民意識を察知できない時点で、議員として失格だ。参考人は犯人ではない。

今日やってくれたのは、自民党葉梨康弘だ。
さすが、警察出身らしい、かといって検察官気取りではなく、立法府らしい質疑であったろう。スーツが似合うんだ。
かねてから、世耕弘成参議院議員と並んで私の注目する人物だ。
質問意図が良く見えて、建築行政の制度的欠陥を指摘し、必要な立法措置を模索する上で、有意義な質問であった。民主党の馬渕“若頭”澄夫議員とは違う形でよい。

柴山議員の質問もなかなかわかりやすかった。葉梨議員と同じで衆議院憲法調査特別委でもおなじみだ。
牧山(牧原?)は、緊張しすぎか空回っていた。確か昨日の読売新聞政治面で特集されていた人だ。
もう一人名前は忘れたが、女性議員もいた。彼女は質問意図が全くわからなかった。それ聞いてどうすんだい?

今日は、葉梨・柴山・馬渕これ以外は質問意図が全然わからなくて、何のための質問だったのか。何か自己満足だ。

これからの国会質疑の方向は、二つに絞られるだろう。というか絞れ。
一つは、葉梨路線。これは立法府としての、重大な役割だ。
もう一つは、一昨日の馬渕路線。政治家がらみの問題だ。
あとは、捜査当局に任せるべき問題だろう。

後者について。
お金を集められる政治家は、それは本来評価されていいだろうと思う。政治献金もらう政治家は悪いなどと言う闇雲な風潮があるのではないかと思う。では、国民はその代わりに政党交付金増、つまり増税を受け入れられるのか。この風潮がある限り、議員が参考人招致や証人喚問に出るというのは難しいだろう。伊藤公介は献金されていたから悪いわけではない。彼の行った記者会見どおりならなんら恥ずべきことをしたわけではないだろう。
私は伊藤公介は無実だと言いたいわけでは無く(というか顔からして悪そうだが笑)、建設会社から献金をもらっているのことが即ち悪だ、などという風潮がいけないと言っている。
伊藤公介はシロならば国会の場で堂々と発言すべきだと思う。テレビのコメンテーターもそう言う。しかし、参考人として呼ばれた時点で政治生命がたたれるようなそんな風潮がある限り、なかなか出て来れないだろうというのは当然であり、そこをテレビのコメンテーターはわきまえているのか疑問だ。そして国民もおかしい。

だから、企業団体献金は廃止して、政党交付金を中心とした制度にしようと言うのだ。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.cfm

そして、自民党松本議員の辞職のニュースは小さいな。安倍議員秘書の問題が出されてしまってトントンかな。安倍秘書の話が風評被害ならばいいのだが、さてさて真相はわからない。
posted by 総理大人 at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月17日

タイミング

自民党候補的だった堀江貴文。でも自民党はこのことで責任は問われない。「的」だから。

数年前の事をなぜ昨日の夜なんだろう。

昨日の夜のニュース、今日の朝のニュース、今日の夜のニュース。
予定稿とは違う内容が報道される。
耐震強度偽装のニュースがトップニュースだったはず。

今日は小嶋さんの証人喚問の日。

タイミングいい。

裏の世界の力が働いたのか、働いてないのか。私は知る術はない。

憲法私案とか、犯罪被害者の報道被害を守る骨太の方針とか、教育関係とか、いろいろと書きたいもの・アイデアはあるのですが、時間と根気がなくて、猫研究員師匠のとこにもコメントする暇も無くて、そなあさんが死んだんじゃないかとか心配してくださったり、地味に地道にブロガーするつもりですので。
そなあさんは訪問してくださってるようで、猫研究員さんのブログのお気に入り欄にも拙の稚拙ブログがあって恐縮してびっくりしましたが、また記事書きますので、本年もよろしくお願いします。
posted by 総理大人 at 08:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月20日

耐震強度偽装の証人喚問

証人喚問というと、疑惑の政治家を糾弾する場というイメージがある。国会議員として非常な不適切行為に対して、国会自らがある種の自浄作用を国民向けにパフォーマンスする場というようなイメージのものであった。
これは国会の権威を維持するためにも必要な作業であり、議員という職にあって国民に説明責任を果たすという、一つ証人喚問のあるべき姿だと思っているし、どんどんこの種の喚問はやってもらいたい。

今更言うまでもなく、証人喚問というのは、憲法の第62条に基づくものである。
その位置づけというのは、国政調査であって基本的には犯人探しではないと思う。
国会というのは立法府である。証人喚問が政策立案の糧にならなければならない。重ねて言うが、証人喚問は犯人探しの場ではないし、ましてや裁判でもない。
その意味において、今回なぜか知らんがやけに評価されているヤクザの若頭みたいな顔の民主党馬淵議員の質問もたいした事はない。
捜査というのは基本的に警察・検察が行うものであって、若頭の質問が立法府の行うべき、また政策立案につながる質問であったかというとそうではない。
いや、若頭はほんとによくやったと思うし、大変勉強されたのだなと思った。でもあれは彼の仕事ではない。
誰がウソをついているか!!など、まあ面白いがそんなことは政策立案上どうでもいい。しかもそれがテレビ中継で見られるなんて、警察の捜査や裁判ではありえないから、盛り上がるのはわからないではないが。
これ以上の証人喚問は必要ない。捜査はプロにやってもらえばいい。国会には国会の仕事がある。

まず立法府の国政調査権にふさわしい証人というのは、第一に建築審査確認機関であった。そして建築主、そして姉歯元建築士。この三者だろう。
国会がすべきことというのは、有効な建築確認の制度設計と瑕疵担保責任の誠実な履行を果たすための制度設計、その建築基準法関係の改正。
それだけでいい。それに全力を投入すべきだ。
事件の全容を国会で国会議員が暴くことなどできないし、国会の仕事ではないし、それが政策立案に活かせはしない。中途半端な仕事しかできない。
建築行政の制度設計の改良のために特化した参考人招致や、証人喚問だったら、もっと見られただろうし、国民のマンション不安も和らいだかもしれない。

しかしまあ仮に犯人探しを目指すにしても、今回の質問者はヒドかった。
やけに渡辺具能議員が批判されているが、他の自民党議員もヒドイ。そりゃもうヒドイ。何度テレビに突っ込みを入れたことか。公明党の高木陽介も、若頭以外の民主党議員もヒドイ、共産党も社民党も国民新党もヒドイ。御覧なってない方は見てみるといいです(下記参照)。まるで売名行為。
前述したが、ほんとに唯一、民主党の若頭だけはよくやってた。…若頭が国会議員でないのだとしたら。

証人喚問を見たい方は、衆議院TVへどうぞ。「国土交通委員会」で証人喚問はありました。

あと、ぜひ武忠氏の記事姉歯氏の証人喚問と個人情報の扱いを御覧ください。

追記:
保坂展人のどこどこ日記強制捜査と国政調査権を読んで、フムフム。自分の認識を改めるべきだろうと思った。本エントリの第一段落になるまで頑張って。
そして、保坂展人が毒にも薬にもならない質問をしていた張本人なのだという事実に私は浸っている今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(笑)
ついでに、若頭の与党、幕引き完了には
予算委員会こそ、疑惑解明の大舞台だ。
とある。いくらテレビに映るからといって毎年毎度予算委員会が肝心文字通りの「予算」を審議しないことを堂々と宣言するのはよさんかい!と思う。予算委員会が予算を審議しないでいいんかい!と思う今日この頃なのだ(笑)

関連記事:
耐震強度偽装問題と規制緩和
耐震偽装問題の公的支援が問うもの
「猫研究員の社会観察記:耐震偽造「姉歯」以外も」を拝見して
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2005年12月07日

耐震偽装問題の公的支援が問うもの

今回の一連の耐震偽装に絡んでの公の支出は、国民一人あたり550円。今後耐震診断が行われもっと被害が増えるに違いないが、税金投入額ももっと増える。
今回の問題が国民に問うているのは、税金でなんでも保護する社会か、自己責任で片付ける社会か。大きな政府か、小さな政府か。
それはつまり簡単だ。税負担の大きな社会か、小さな社会か。

公的支援を批判的に考える人は、国土交通省HPに書き込めるところがあるので、そこにどうぞ。
間違ってもマンション住民を批判してはいけない。私もマンション住民なら、やってもらえることはやってもらおうと思うだろう。
自己責任社会を求めるならは住民に求めても仕方がない。政府に求めるしかない。

ちなみに、私は小泉さん及びその取り巻きが使う「小さな政府」という用語の使い方は、なんか体がかゆくなる。小泉さんが目指すものは「無駄のない政府」であって「小さな政府」と言うのは誤用だと思う。もしかしたら、「小さな政府」の意味に、「小泉さんが目指す政治」という意味が当然のように加わる日が来るのかもしれないが。

今回の公的支援賛成反対は別にいい、個別のことは好き勝手言える。税負担の大きな社会、または25条の「最低限」これ以外は自己責任の社会、どちらを選ぶか国民は問われているのではないか。
いや、まあ自己責任と保護の真ん中とかケースバイケースとか言われちゃおしまいだけれども。。しかし、真ん中だと言うならばケースバイケースと言うならば、今回の政府の支援は当然だろうと思う。

とは言え、この公的支援が政府あるいは政党の人気取りレースみたいなことにならないように、注視していかなければならない。

さて、ここで今回の私案である。
1:国庫補助制度を活用し、マンションや一軒家など個人の住む住宅の耐震診断を促進するための補助金支出。
以下、Qu/Qunが0.5未満で耐震改修が困難である分譲マンション住民が対象。
2:該当住民に政府は、退去を命令。
2:希望者に対して上記重大な欠陥が判明した物件の居住者受け入れ住宅を政府は公営あるいは民間で確保。居住者に移転費を支援。
3:震度5強程度で倒壊する恐れがあるマンションを住民から自治体が土地代で買い取り解体。

以上。

今回の件においてその他の国家の支出額・内容については、司法の場で争われることだ。

関連記事:
耐震強度偽装問題と規制緩和
耐震強度偽装の証人喚問
「猫研究員の社会観察記:耐震偽造「姉歯」以外も」を拝見して



posted by 総理大人 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月28日

大阪市長選。そして民主党。

抗議の棄権か、無責任の棄権か、抗議の棄権も無責任なのか。
出直し大阪市長選は約七割の有権者の棄権で幕を閉じた。

「しがらみを断ち切り、強力な市民の信任を得て市政改革に邁進したい」
そう言っていた関氏は、有権者七割の棄権の上、前回より9万票も得票を落としバンザーイの再選となった。
労使蜜月関係を関氏は断ち切った選挙戦であったが、政党とも距離を置こうとした当初の関氏はどこへやら、船場太郎の出馬の動きで、大慌てに自民公明に推薦を要請。
マスコミの出口調査によると、自民支持層の6割、公明支持層の9割近くから得票している一方、無党派層からの支持は2割強であった。

一方民主はといえば、旧社民系は関氏を支持し、市労連を母体とするグループと対立。結果自主投票。
民主党を離党して出馬した辻氏の元へは、党所属国会議員が次々と応援に駆けつける一方で、民主市議の一部は関氏を応援。
有権者にわかりにくすぎる選挙を行った。
そんな辻氏には無党派層から3割強しか票を得られなかった。

関氏は、有権者10人に1人から支持を得られたという。たった10人に1人。関氏の残り任期は公選法の規定で一期目の残り任期と同じ。誰か関氏に出直せと言ったのだろうか。

今回の選挙に使われた税金7億円。市民の呆れ顔と怒りpriceless。

当選 278,914 関淳一 無前〈自〉〈公〉
   189,193 辻恵 無新
   165,874 姫野浄 無新〈共〉
   46,709  松下幸治 無新
    (〈 〉囲みは推薦政党)

やむを得ず、関氏に投票したという市民は多かった。
関氏に勝てる候補は、探せばいただろう。民主党にも諸事情あるのかな、だからと言って内部でゴタゴタやっていいというものではない。

・伊勢市長選
合併後初の選挙。加藤光徳(民主推薦)が奥野英輔(自民推薦)ら三人を破り当選。投票率73%。
合併後の初選挙ということも大きかったろうが、この投票率は民主VS自民の構図のためか、土地柄か。

・市川市長選
千葉光行(自民・民主・公明推薦)が…
もう書かなくても、結果がわかるだろう。
投票率は24%。あいのりVS共産の構図であった。
いつもながら共産党の報われない気概には感心する。

関連記事:あいのり〜議会という名のラブワゴン〜

民主党は資金難だ。特に国政選においては、地元(現職・前職・元職・新人)に金を落とすのではなく、中央から仕掛けるべきなのだ。
地元の集会にどれだけの有権者が集まるだろう。盆踊りに議員が行って、どれだけの人が国会議員と話ができるだろう。選挙のときに、候補者と握手した有権者はどれだけいるだろう。
地元での選挙戦を手伝ってくれるように支持者と日ごろから仲良くするための資金は必要だろう。
しかし、ほっとんどの有権者はテレビや新聞を通して投票先を決める。候補者と直接関わる有権者などごくごくごく一部。
平時の民主の情報発信量は政府・与党に比べるとあまりにも低い。テレビ・新聞、民主党の話題はない。選挙に負けたのだから仕方ない。野党だから仕方ない。
選挙になると、報道の量は一応平等に行われる。だから民主が選挙で議席を増やせてきた。先の総選挙みたいに戦時もマスコミが自民に占拠されてしまうと民主党は何も出来なくなる。

資金難の民主党は地元ではなく、ネットにお金をかけるべきなのだ。報道されないなら自らすればいい。効率の良い資金の配分。
私はテレビ局を開設すべきだと思う。コンテンツがおもしろくもなんともない政府インターネットテレビだってかなりのアクセスがあるという。GyaOはテレビCMやる以前からものすごく伸びていた。
新聞の影響力はテレビに劣る流れ。同じように活字より動画が受け入れられやすい。
インターネット利用者の人口普及率が60%を超えた。ブロードバンド回線利用世帯も5割に迫る勢いで、インターネットがより一般化している。投票に行く層もそれなりにネットをやってる。
投票に行かない若い層はネットをかなりやっている。民主党がこの層を取り込めれば、政権交代もありうる。
13〜39歳までの範囲では利用率が90%超、6〜12歳または50代で60%強、60〜64歳で39%、65歳以上で15%。
うれしいことに、ネットは全国ネットであって世界ネットでもある。

==
追記:
あぁぁちょっと驚いた!!
私は大阪市民ではないので、今まで候補者の政策を新聞以外で見ようとは思わなかった。いずれ、公式ホームページでも見てやろうと思ってたのだが、この記事をきっかけにさっき探してみた。
公式ホームページ、関なし、姫野なし、松下なし。。
辻はありました。ホームページの政策カテゴリがこれ
関、姫野、松下!お前ら市民に本当にわかってもらおうという気があるのか!
私はさっき指摘したばかりだ。
「地元の集会にどれだけの有権者が集まるだろう。盆踊りに議員が行って、どれだけの人が国会議員と話ができるだろう。選挙のときに、候補者と握手した有権者はどれだけいるだろう。」
辻!それは政策ではない。スローガンだ。そこを間違えるな。

君たちは無所属候補だ。党がマニフェストを作ってくれる立場ではない。自分で改革の具体案を公表し、それを市民に問わねばならない。
その公表の場は、安価で便利なwebだと思っていた私は変か。まさにwebは「マス」なメディアだ。
具体的な公約もないのに、どうやって判断しろというわけだ。。

関西ローカルのテレビ出るのも、新聞に載せてもらうのも大事だけれど、今の世の中webpage持って情報発信するというは当たり前だ。ましてや大阪市って全国区じゃないか、政令市として全国のお手本になるようなことを考えてもらわなくちゃならない。
繰り返すが、公約の具体案を公表し、それを市民に問わねばならない。その具体案を探したいと思った人に開かれるのがインターネットなわけだ。
候補者は、その意味で市民軽視と言っても決して過言ではない。

ということで、一応市政改革マニフェストを「関市長の大阪市」が関氏の変わりに公表してくれているので、まあ順当な再選であったわけか。

あぁぁちょっとほんと驚いた。
==




posted by 総理大人 at 17:26| Comment(4) | TrackBack(9) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月26日

男系維持で国民に支持される安定的な皇位継承は可能か。

皇統はずっと男系で維持されてきた。
男系維持派の皆様は、歴史と伝統を重んじるということであろうと思う。もし仮に皇統がずっと女系で維持されてきたのに、現代において男系天皇を認めるような論調が出るなら、それも批判するということだろう。その意味において、Y染色体云々というのはつまらない観点だと思う。(「もしも」の話もこれまたつまらないものであろうが。)
現代科学のY染色体云々はどうでもいいのである。Y染色体を持ち出すことは論理の質を低下させる。
先人たちは父方の血をたどると初代の天皇にたどりつくということは意識していたであろう。
どうして男系を維持したかということ、皇統がジグザグになることを先人たちは懸念したのだろう。

女系天皇容認派の中にもいろんな人がいる。
私は象徴天皇維持の観点に立ち、さらに象徴の天皇にもっとも必要なものは、カリスマ性や神秘性、国民からの天皇・皇室に対する求心力いうものだという視点に立ってこの皇位継承の問題を考えている。

皇位継承に男女平等の観点を持ち込むのは、不適当であると思うし、私自身は持ち込まない。ただし、この問題の本質は男系を維持するかそうでないかであるからして、男系を維持しないならば、兄弟姉妹間で男女に優劣をつける必要などないと考えている。この長子優先の考え方は皇室典範に関する有識者会議の報告書にあるので省略する。
女系天皇容認支持派は悪質フェミニストであり安易な男女同権論者であり左翼であるというような論調はどうして出るのだろう。

私は皇位継承に関してさまざまなブログを拝見したが、どうもおもしろくない。
それは有識者会議批判をしているだけのブログが多く、そしてまた歴史と伝統、歴史と伝統と唱えるだけのブログが多いからだ。それが悪いことだと思わないが、なんら建設的ではないのだ。
有識者会議で議論されてきたのは安定的な皇位継承を目指す方法なのである。もちろん会議には拙速の感はあり乱暴の感もあった。しかしなぜ今、この話題が持ち上げられているかというと、皇位継承の危機だからであるのだ。大方の男系維持派ブログは男系を維持した上での安定的に存続可能な皇位継承の方策についてなんら提案しない。
批判をするだけというのは非常に簡単だ。いくらでもできる。私個人は、ほとんどのブログ作者は、有識者会議を批判できたものではないと感じている。したがっておもしろくないのだ。

そんな中、私のweb検索能力の中で、その方策について真面目に考え提案する数少ないブログを見つけた。
時事評論@和の空間 皇位継承を考える(2)男系維持の方策(その1)(その2)もあります。
私が言うにはおこがましい話だが、非常に評価できるし、おもしろいと思った。これがあるべき姿であろうと思う。
今の世の中は、対案主義でないと相手にされない。
国民からのカリスマ・神秘性といった方面からの方策も考えられていた。
しかし、作者の結論はカリスマ・神秘性を考慮すると安定的な皇位継承は難しいだろうということであった。(断っておくが、作者は必ずしもそこを重要視せずともよいという立場に立っておられる。そこが私と違うところである。)

===
追記:和空さんのコメントより和空さんのスタンスを補足
記事その2のほうは、妥協案であること。
基本的には旧宮家の無条件の皇籍復帰(復帰しない一部の旧宮家の男系男子については永世にわたる皇位継承権の付与)を求めること。
側室制度容認派であること。
皇室のカリスマ性や神秘性は、「国民からの」という意味ではなく、本来の宗教的な力という点を考えていること。
===

私は、側室制度(非嫡出子)を大々的に唱えて、あるいは生命倫理に踏み込んで遺伝子レベルで男女の産み分けを唱え男系維持を提唱しないかぎり、安定的な皇位継承という命題はクリアーできないと考えており、そうでないかぎり男系維持に説得性はないと考えている。
現状の男系維持論は先延ばしに過ぎず、万策尽きるまで皇位を男系で継承しようというのに意味を感ずることはできない。

25日深夜の朝まで生テレビの後半のほんの少しの時間、皇位継承問題が議論(お話?)された。あのパネリストのメンバー構成では男系維持のお二人(八木氏勝谷氏)に不利であったろう。
しかし、私は高崎経済大学八木助教授が発言している時の、客席の人達の顔を見たのだ。あの顔は田嶋陽子さんが発言しているときの客席と同じ顔だった。(田嶋女史を批判するものではありません。。)

関連記事:現代の天皇にはどうしてカリスマがあるのか。〜皇位継承は直系長子優先がいい〜

cf.皇室典範に関する有識者会議報告書より、抜粋 『』は私による強調 【】内は私による想像議論
・男系による継承は、基本的には、歴代の天皇・皇族男子から必ず男子が誕生することを前提にして初めて成り立つものである。
過去において、長期間これが維持されてきた背景としては、まず、『非嫡系による皇位継承が広く認められていたことが挙げられる。』これが男系継承の上で大きな役割を果たしてきたことは、歴代天皇の半数近くが非嫡系であったことにも示されている。また、『若年での結婚が一般的で、皇室においても傾向としては出生数が多かったこと』も重要な条件の一つと考えられる。
・近年、我が国社会では急速に少子化が進んでおり、現行典範が制定された昭和20年代前半には4を超えていた合計特殊出生率(一人の女性が、一生の間に産む子供の数)が、平成16年には1.29まで低下している。皇室における出生動向については、必ずしも、社会の動向がそのまま当てはまるわけではない。しかし、社会の少子化の大きな要因の一つとされている晩婚化は、女性の高学歴化、就業率の上昇や結婚観の変化等を背景とするものであり、『一般社会から配偶者を迎えるとするならば、社会の出生動向は皇室とも無関係ではあり得ない。』
・旧皇族は、既に60年近く一般国民として過ごしており、また、今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であることを考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることができるか懸念される。『皇族として親しまれていることが過去のどの時代よりも重要な意味を持つ象徴天皇の制度の下では、このような方策につき国民の理解と支持を得ることは難しいと考えられる。』
【「世論の支持」や「親近感」とはアイドル的なものであり、目本の象徴である天皇は、目本の歴史伝統に則したものであるべきで、そのような認識の下に教育も行うべき。また、旧皇族の皇籍離脱はGHQによるものであり、元に戻すだけである。←「世論の支持」や「親近感」は天皇制維持にもっとも必要なものである。現在の教育も不十分な面もあろうが歴史伝統に則したものであって、「世論の支持」や「親近感」を打ち出すものではない。「世論の支持」や「親近感」が重視されるようになったのは、まさに世論の影響であり、情報化社会がためである。】
・皇籍への復帰・編入を行う場合、当事者の意思を尊重する必要があるため、この方策によって実際に皇位継承資格者の存在が確保されるのか、また、確保されるとしてそれが何人程度になるのか、といった問題は、最終的には個々の当事者の意思に依存することとなり、不安定さを内包するものである。このことは、見方を変えれば、制度の運用如何によっては、皇族となることを当事者に事実上強制したり、当事者以外の第三者が影響を及ぼしたりすることになりかねないことを意味するものである。
・いったん皇族の身分を離れた者が再度皇族となったり、もともと皇族でなかった者が皇族になったりすることは、これまでの歴史の中で極めて異例なことであり、さらにそのような者が皇位に即いたのは平安時代の二例しかない(この二例は、『短期間』の皇籍離脱であり、また、天皇の『近親者(皇子)』であった点などで、いわゆる旧皇族の事例とは異なる。)。これは、皇族と国民の身分を厳格に峻別することにより、皇族の身分等をめぐる各種の混乱が生じることを避けるという実質的な意味を持つ伝統であり、この点には現在でも十分な配慮が必要である。

posted by 総理大人 at 06:56| Comment(7) | TrackBack(7) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月23日

現代の天皇にはどうしてカリスマがあるのか。〜皇位継承は直系長子優先がいい〜

歴史と伝統、変えてはいけないのだろうか。いつ変えるのだろうか。地球がなくなるまで(?)。これらいつも思うのだ。

皇室は万世一系ではない。
天皇制は古くからの歴史と伝統そして現代世論で成り立っているんだろう。いや今の世の中、悲しいかな天皇制は世論によって成り立っている。1000年後の世論はどうかわからない。
おそらく戦後生まれは皆一度は考えただろう、天皇は必要なのか。今や天皇制が当たり前ではない世の中と言えるだろう。それほど、第二次大戦後の変化というのはすごかったのだろう。

旧宮家が復帰しても、4代5代…長持ちするだけではないか、いや何代かはわからぬが延命処置に過ぎないだろう。一夫一婦制の中、いずれ男系男子の皇位継承は難しくなるのは必至ではないだろうか。

私としては旧宮家の男系男子と言われても誰や?って感じなのだ。復帰してもらっても、親しみもカリスマも何も感じない。
失礼ながらポっと出のような旧宮家に思いを致すはできぬ相談のような気がする。
(最近竹田宮家の方がテレビ出ていらっしゃるが、あの人にカリスマを感じろなんて無理がある。(そもそも、あの人登場の仕方間違ったと思うのは私だけだろうか。あの姿を見て女系派が多くなるような気もする。))

国の借金は子孫に残してはいけない、皇位継承の宿題も子孫に残してはいけない。
むしろ皇室制度は時代に即して変えるべきではないだろうか。

現代の私たちはどうして天皇に神秘を感じるのだろうか。
Y染色体がずっと昔から同じだから、男系天皇だから神秘を感じるわけではないだろう。
天皇の存在を国民統合の尊重として教育され、そういう風に報道されているからだろう。
そして今誰に神秘を感じるかというと、主に報道されている今上天皇ファミリーであろう。成長の過程や日々の様子などそういうことを我々が見るからこその話だ。
女王方の顔が思い浮かぶ人など普通いない。
顔が見えない皇族はいないに等しいといってもいいくらいだろう。情報社会が故である。昔とは違う。

ましてや、60年という前代未聞の長期皇籍離脱を持った旧宮家に、江戸時代以前ならいざ知らず、この現代に復帰してもらっても、その方々に神秘やカリスマ、ありがたみを感じることはできない。

歴史を軽視するわけではないが、歴史はその時代時代の人々が築いていくものであって、直系長子天皇の権威もまた歴史が作っていくものだろう。
天皇制の歴史というのは「男系」ではなく「天皇がいつの時代にもいた」ということだと個人的には思う。

万策尽きるまで男系で継承しようということなのだろうが、それに意味を感ずることは私にはできない。
側室制度を大々的に唱えて、あるいは生命倫理に踏み込んで産み分けを唱え男系維持を提唱するならそれなりの説得性もあるってものだろうが。

なかなか、女系容認派と男系維持派は埋まらぬ溝だと思う。
しかし、今の流れでは国民の中で、あまり議論のないまま、歴史的事実を知らないまま、女帝と女系の違いもわからないまま、女系天皇を認める世論ができてしまうだろう。それは私としてもあまりに残念なことであるから、国民は一定程度の歴史と事実を知ってもらいたいと思っている。

私はいっそ皇室に議論を一任してはどうかと思っているのだ。無理な相談なのだろうが。。
大部分の国民は天皇の決断なら支持するだろう。いずれにしても天皇陛下及び皇室の意見を仰ぐことは、早急に行うべきだと思う。

皇位継承順位は直系の長子優先。ただ、お婿さんとして皇族になれるという一般人がどれだけいるのかは疑問で、それはそれで難関だろう。
しかし、やはり直系主義・近戚(?)主義でないと天皇制が崩壊してしまうと私は危惧するのである。
つまり私が言いたいことは、男系維持などではなく天皇制の存続・維持という大局的見地に立つならば、現代の日本の世のあり方を最重要視しなければならない、ということなのだ。

関連記事:男系維持で国民に支持される安定的な皇位継承は可能か。
posted by 総理大人 at 21:34| Comment(1) | TrackBack(4) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月15日

紀宮さまご結婚おめでとうございます

本日「目本国の行方」は「紀宮さん結婚おめでとう」とブログタイトルを変更し祝賀ムードでお送りしています。

私も日本人ということなのか、なんだかうれしいもんですね。
紀宮改め、黒田清子さんお幸せに。
posted by 総理大人 at 08:20| Comment(3) | TrackBack(0) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月24日

あいのり〜議会という名のラブワゴン〜

・神戸市長選
現職の矢田立郎氏(65)=自民、民主、公明、社民推薦=が、市民団体代表の瀬戸恵子氏(43)=共産推薦、新社会支持=と広告会社社長の松村勉氏(42)を破り、再選を果たした。投票率は30.23%(前回38.14%)だった。

・川崎市長選
無所属の現職阿部孝夫氏(62)=自民、民主、公明、社民推薦=が、無所属新人の岡本一氏(60)=共産推薦=を破り再選を果たした。投票率は36.32%(前回36.76%)だった。

・鎌倉市長選
石渡徳一氏(52)=無現、自・民・公推薦、再選。前宮城県環境生活部次長の渡辺光子氏(55)=無新=、鎌倉民主商工会長の仲地漱祐氏(59)=無新、共推薦=を破る。投票率は47.49%。

・堺市長選(大阪府)
木原敬介氏(65)=無現、自・民・公推薦、再選。舞踊家の長川堂いく子氏(56)=無新、共推薦=、前府議の森山浩行氏(34)=無新=、元大阪市職員の山口道義氏(52)=無新=を破る。投票率は32.39%。堺市は政令市となって初の選挙。

・兵庫県知事選挙
現職の井戸敏三候補(無所属、自民・公明・民主・社民推薦)が新人の金田峰生候補(無所属、共産推薦)を抑え当選した。投票率は33.33%。

=============
・佐賀市長選
無所属新人で元佐賀市水道局長の秀島敏行氏(63)=自民、社民推薦=が、無所属新人で元佐賀市長の木下敏之氏(45)=民主推薦=を破り初当選した。投票率は68・96%。

私が投票行かなくても、どうせ当選するのは、「相乗り候補だもん」。これが有権者の声ではないだろうか。
佐賀市長選はその逆の声が表れた??

『国政』…民主は対決姿勢
『地方選』…民主は相乗り、目指せオール与党

なんで民主党を責めるのかって? 彼らが野党だから。

地方から民主党の政治を示していく。それを国政への気概とする。そういう姿勢が民主に欲しい。
オール与党体制では議会が働かない。その末路が大阪市。
なにより、国政では「対決姿勢」、地方政治では「お手々つないで仲良しこよし」。私には理解できない。
民主党にやる気はあるの? 政権獲得への気概が感じられない。共産党の結果に表れない気概にはいつも感心する。少しは見習え、民主党。
そして、参院神奈川補選では、やっぱり負けた。

そういえば、社民党を無視して書いてきた。ま、いいか。。

(注)
・地方の首長選に相乗りするというのは、首長の権限が強大だからと理由はある。しかし、だがしかし、それでいいのか。
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20020307/

関連記事:大阪市長選。そして民主党。
posted by 総理大人 at 01:42| Comment(1) | TrackBack(3) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月09日

自民党造反組、早変わり

なんだこれは!
郵政民営化法案に反対した(元)自民党の議員たちが、次々と賛成派になっている。
今頃になって賛成へと転じる理由がわからない。後出しじゃんけんの保身としか考えられない。

たとえば岐阜一区の野田聖子議員に投票した人々の中には、政府自民党の郵政民営化に対して反対だから野田氏に入れたという人も多いだろう。野田氏はこうして当選した。
野田氏はこうした有権者の意思を無視する行動をとるのか。理解に苦しむ。そんな議員は辞職すべきである。
どのみち賛成に転じるなら、最初から法案に反対などしなければよかったのである。それならば野田氏は今も与党議員だろう。郵政以外のもっと大事な政策に対しても「与党議員野田聖子」ならその政策に対して野田氏の意思を反映することも、よくできたはずだ。無所属議員に何ができよう。
郵政民営化に対しては不本意ながらも賛成して、他の重要政策に猛進するほうが国益にかなうという判断も、それはそれで立派だったはずだ。正義の保身とでも呼べよう。
選挙結果を受けて賛成に転じる者など国政にはいらない。先見の明のない国会議員は必要ない。
自分の近い将来も予想できない人に、どうして国の将来を任せられようか。

参議院自民党造反組も同じだ。自らの行動が、選挙費用750億円の税金を使わせた。衆院解散によって国会提出されていた重要法案が廃案になった。政治空白期を生んだ。
そういうことを理解しているのだろうか。
参議院議員は解散もなく任期も長い。これは短期的な民意に左右されることなく、長期視点・国益確保の視点に立って仕事をしなければならないということだ。
衆議院選挙で自民党が圧倒的勝利をおさめたという理由で賛成に転じるなら、参議院議員失格である。自分の判断で法案に反対したのである。参議院議員が国益にかなうと判断したのである。賛成に転じるなど言語道断。
参議院不要論が言われて久しいが、こんな参議院ならば本当に必要ない。税金の無駄遣いである。
そして数字の上でも与党は衆議院で2/3以上の議席を占めた。どんな法案でも衆院だけで通る。もはや現在のような参議院は不要なのである。

それにしても大仁田厚は法案採決で、一番卑怯で国民の理解できない棄権をした上、最近なにやら杉村太蔵議員にアドバイスだそうだ。
総選挙のときも関西の選挙特番で、へらへらと、のうのうと出演し、なにやら訳のわからない事を言ってたっけ。
私は大仁田厚をファイヤー(クビ)したい。
この大仁田厚のHPにも政策は一切載っていない。そもそも政策がないのか、国民へ伝える努力を怠っているのか。。
まさに”邪道議員”だ。

参考
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20040305/index.htm

posted by 総理大人 at 22:58| Comment(0) | TrackBack(2) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月08日

国会での審議を国民が見張ろう

すでにご存知の方も少なくないだろうが、ネット上で国会審議が動画で見られる。

国会では郵政一つとってみても、かなりの時間をかけて審議が行われている。
国会議員は国会の場で様々な政策を審議しており、国会での質疑を通して国民に政策を説明している。
郵政一つとってみても政府案の中身がわからないという方もいるだろう。
だが、わからないのは国民の側の意識の欠如で、国民の怠慢以外の何者でもない。
テレビがおもしろがって政策論でない部分ばかりを報道し、肝心の法案の中身を報道しない・国会審議の模様を報道しないのだから、自ら見に行くしかない。テレビがおもしろおかしく切り貼りした映像なんてもう見ないでいいのだ。
あるいはテレビでは伝えられなかった情報を自ら国会審議に求めていくということも必要だろう。

今、国会審議はNHKの国会中継だけでなく、インターネット中継もされている。
現在、衆院郵政特別委員会では、政府案及び民主党案も審議されている。
本日(すでに昨日だが)は片山さつき議員や佐藤ゆかり議員など有名どころの新人も質問に立った。
また、今国会では衆院に憲法調査特別委員会も設けられ、憲法国民投票法案の審議も開始された。

ネット中継では、過去の録画分もライブラリで見られるようになっている。
また発言者や委員会名で検索できるようにもなっている。実際にやってみるとわかるが、使い勝手はそれなりにいいと思うであろう。
自分の選挙区議員の質問する模様や、自分の注目する議員の質問、自分の注目する法案審議の模様も見られる。
せっかく国民へ向けての説明の場、国会があるのだから、国民がそれを利用しない手はないだろう。国会審議、それを見ずして説明責任を果たしていないなどというのは国民の怠慢である。

御覧になったことがない方も短時間だけでも見てはどうだろうか。

衆議院TV http://www.shugiintv.go.jp/

参議院インターネット審議中継 http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php 


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2005年10月06日

社説読み比べのすすめ

皆様は新聞の社説を御覧になるだろうか。また各紙を読み比べているだろうか。

産経新聞の電子版Sankei Webの社説欄では主要全国紙の産経・読売・毎日・朝日・日経、各新聞の社説がリンクされ簡単に見られるようになっている。

国内外の諸問題に五紙が各々の立場から主張を繰り広げている。外交や安保などでは正反対の主張が見られることがある。
新聞をとっている方は多いだろうが、ほとんどの家がどこか一社であろう。せめて、社説だけでも読み比べてはどうだろうか。

偏った見解を持たないためにも、五紙の社説を見比べ、国内外の諸問題に対して自分なりの意見というものを構築することは悪くないだろう。

posted by 総理大人 at 01:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月01日

杉村議員騒動を通して党の公認責任を問う

杉村議員は自民党のお偉いさんに「お叱り」を受けて謝罪・所信表明記者会見を開いた。
これは自民党の武部幹事長はじめ杉村太蔵議員の諸先輩方が杉村議員のある種幼稚な発言を嫌ったということだ。

さて、その杉村議員を国会議員にしたのは誰であろう。
自民党の大勝させた国民の責任でもあろう。
だが、しかし比例候補者個人の資質を国民が見極めるのはほぼ不可能であろう。
そもそも比例名簿とは各党が「この人は目本の為に必要な人材である」と定めたものではないだろうか。自民党が必要だと思った人を自民党が言論統制する、滑稽な話である。

そこで問われてくるのは自民党の公認責任である。公認責任は杉村議員騒動の本質であろう。

杉村議員の会見にも同席していた、私が今もっとも期待する政治家世耕弘成参議院議員のブログにはこのようなことが書いてある。

(杉村議員から)「マスコミに追いかけられて大変だから助けて欲しい」との要請があったものの、私は「原因をつくったのは自分だろう」と突き放していた。

違うのではないか、原因を作ったのは杉村議員を公認した自民党にあるのではないか。
幼稚な発言(私個人は好感を持てるが)を繰り返す杉村議員を武部幹事長が叱ったというのは新聞等でも伝え聞く。
公認しておきながら、杉村議員に明か暗か知らぬが圧力をかけ、異例の会見を開く事態になった。党が杉村議員の言動を問題視しているなら、自民党は国民へ向けてなぜ杉村議員を自民党が公認候補としたのか説明せねばなるまい。

自民党公募候補は論文と面接によって選ばれた。選考者は何をしていたのだろうか。どんな選考だったのだろうか。

今回は三つの幸運が重なり、党の公認責任は問題視されていない。
・バカのマスコミが杉村議員の言動ばかりに注目し、自民党の公認責任には触れない。
・多くの国民も杉村議員の言動ばかりに注目し、自民党の公認責任に気づかない。
・民主党は覚せい剤議員を出してしまった手前、自民党に候補者選定責任を問えない。

本来、この騒動を通して問われるべきは公認責任ではないか。

それを曖昧にするマスコミの姿勢にはいつもながらウンザリである。

関連記事:
杉村議員騒動を通して「政治家」を考えてみる。


posted by 総理大人 at 18:44| Comment(3) | TrackBack(0) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

杉村議員騒動を通して「政治家」を考えてみる。

私は杉村太蔵議員が好きだ。非常に自然体で好感を持ってテレビを見ていた。

だが、政治家としては認めていない。今後しっかり政策を掲げられる政治家になってほしいものだ。
杉村太蔵議員のブログを見てもわかるように政治家として目本が通るべき道を示すことができていない、また政治信念・政策これらは皆無である。

なにも特定分野の政策通である必要はない。法律案を条文形式で作れる必要もない。
政治家として信念・基本的な政策・政治家として取り組みたい分野の基本政策、これらは必要である。

杉村議員は所信表明会見で「ニート・フリーターの声を代表できる、その問題に取り組みたい」と言った。
ニート・フリーターの声を、ただ国会へ届けるのが国会議員の役目ではない。
声を代表してニート・フリーター対策を考え、その政策を国会へ届けるのが国会議員・政治家の役目である。
杉村議員には会見を見る限り、具体的政策がない。自分が一番取り組みたい分野であるはずなのに。

議員の勉強には二つ種類があろうか。
・政策の勉強
・具体的な政治の進め方・自分の政策を実現するための勉強(これは政治家になってからしか実践できない。)
議員は、ある程度政策を持っていることが前提条件としてあるべきである。
政治家は政治家になる以前から基本的な政策・公約を持っている必要がある。「自分の色」とも呼べよう。
もちろんすべての分野に政策を持つことは無理であろう。これは政治家になった後、徐々に知識・政策を増やしていくということで補うべきものであろう。

政治家が「自分の色」を持っていないとどうなるだろうか。
・白紙のキャンバスには、党のお偉いさん・諸先輩の色が塗られていく。それこそ、個性・独自性のない政治家が生まれる。「自分の色」という下地がないと個人が議員として存在する意味などない。新人議員は先輩議員のコピーでは困る。小泉さんの子供では困る。
・政策のない議員が生まれることは、頭のよい官僚の言いなり政治になる危険性をはらんでいる。官僚は国民が選んではいない、国民が選挙を通して選んだのは議員である。議員主導の政治でないと困る。

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posted by 総理大人 at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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